「旅」とは、

「旅」とは、「5%の努力と、5%のお金と、90%の人々の優しさ」


ボランティアをしながら世界に笑顔を届ける - 【看護師Keiの自転車世界一周の旅】×【助け合い】 ★現在挑戦中です!


(中国武漢で自転車が盗難に遭いましたが市民数万人の皆様のお陰で取り返し、無事旅を続けています!!)

2011年12月28日水曜日

-小さな中東-


諸曁(Zhuji)で中学校の英語の先生の家に2泊させてもらった後、義鳥(Yiwu)に向かった。
気温はますます下がっていく。大阪で日本出る直前に大阪で1900円で買ったジャケットが風から守ってくれる。ただ、自転車をこいでるときってけっこう暑い・・。大きな川にかかる橋でも渡ったあとには汗だく。そして冷えて風邪を引く。なので停止している時意外はジャケットを脱いで走ったりマフラーやホッカイロを組み合わせたりと、いろいろ考えて体温調節しているのだけれど。

風邪引いた・・。

それでも何とかついた義鳥。実は昨夜まで泊らせていただいたおうちはホットシャワーも暖房もなかった。それでも電気毛布をひとつ貸してくれたり、お湯を沸かして湯たんぽを作って夜をしのいだ。
寝不足と体調不良で決断した、今日はホテルに泊る!

中国には宿泊所にもいろんな種類があって、「旅館」と呼ばれる宿が断トツ格安。でもそのほとんどが外国人を泊めるための許可証を持っておらず、何件も周ったが結局旅館はダメで、少し高いホテルに泊ることになった。とても痛い出費。でもテントを張ったら医療費の方が高くなる気がしてそう決めた。

実は、この旅始まって2ヶ月、一度もホテルなどの宿に泊っていなかった。
一泊だけ弟と琵琶湖湖畔にテントを張って寝たが、ありがたいことにそれ以外はみんな民泊させていただいた。このサイトのタイトルも「世界の田舎に泊まろう!」、だからこそホテルは避けてきた。

旅の出費の多くを占めるのが宿泊費。
もしその出費がなかったとしたら、みんなそのお金をどんなものに使うだろうか。
きっともっと旅の内容が豊かになるんじゃないかと思う。
ホテルで誰とも会わないでテレビ見て寝ちゃうのと、その土地の生活や人々の中に入ってまるでホームステイのような体験をするのとでは大きな違い。

ここ過去4年の間に世界中から250人以上の外国人を家に泊めてきた。
綺麗なシーツ一枚の為に大金を払っても翌朝にはチェックアウト、ホテルから追い出されてしまう。
それならそのお金で美味しい寿司や酒でも食してもらいたい。せっかく日本に来たなら日本の友達を作って、畳の上で布団を引いて寝て、僕の不器用な日本料理でも食べてから帰ってもらいたい。
そう願う外国人もとても多い。物価も高く海に囲まれ飛行機じゃないとこれない日本。それでも外国人が来たいと願うのは、それだけ日本の文化や生活様式、そして日本人に対して魅力を感じているからだ。

僕も外国にいるなら可能な限りその国の文化の中に入って行きたい。
でも今日は、しょうがない。一応看護師、自分の体も心配しないと。。

この義鳥という街は、いわゆる「made in China」を輸出入するために世界中から外国人が訪れる。特にパキスタン、イラク、アフガニスタン、トルコなどの中東やアフリカ諸国が多い。この日、同じホテルに宿泊していたアフガニスタン人のサニーと一緒にナイトマーケットに出かけた。彼は文具を中国から輸入するためにしばらく滞在していて、祖国を数ヶ月ごと行き来している。

「アフガニスタン最近どう?自転車走れそ?」

僕が知っているアフガンといえばテロや紛争くらいだろうか。今までにあまり考えたこともない日本からはいろんな意味で遠い国だ。

「いまだにひどいよ。いつ何があってもおかしくない。タリ○○は容赦ないんだ。」

首都は安全らしいが地方に行けばまだテロの脅威が潜んでるのだそう。でも彼は言った、

「去年2人外国人チャリダーを見たよ。ヨーロッパの方から来たらしい。」

・・いた!僕と反対方向だ。地を這いつくばってでも進むチャリダー、どこにでも出現するなあ。シルクロードを通る際にアフガンに行くか行かないかはまだ今は決められないが、たとえ行けなかったとしてもいつかは行きたい国。近い将来、日本から直行便が出てツアーなんかも募集しちゃって、日本のおばちゃんたちでも気軽に来れるような国になる日がくるのだろうか。

いや、来る!

ナイトマーケットからの帰り道、交差点を青信号で渡っていた僕を三輪のバイクがかすって行った。その時サニーが言った。

「昨日ここで少女が車に跳ねられたよ。」

しかも青信号を一人で渡っていたらしい。車を運転していたのは女性。泣きながら少女の元に駆け寄っていったという。
泣くくらいなら、なぜ跳ねた。なぜ赤信号を平気で突っ切ろうとした。
僕らは理解できない彼らの行動に腹を立てずにはいられなかった。

この前も中国人の友達と街を歩いていたとき、信号が赤になったので立ち止まった。左右から車が流れ始める。友達は、

「なぜ渡らないの?みんな渡ってるじゃない。」

人は車の間を縫うように、車はこれでもかというくらいクラクションを鳴らしながら人をよけて走っていく。まさに死と隣り合わせ。
ほんの30秒だよ。この30秒を待つか、それを長いと感じ一生をここで終わりにするか。
親が子供と一緒に赤信号で渡るから、子供もそれを良しとして渡る。

もしその子供が赤信号を一人で渡って、引かれたとしたら、その親は泣くだろう。その時自分が知らずに子供に与えていた教育を振り返るのだろうか。

日本から出て異文化の中に自身を放り込むと、色んな矛盾や疑問が見えてくる。その国の善いところ悪いところ、そして母国の善さも悪さも。日本も昔はそうだったに違いない。豊かになるにつれ、法を順守するようになり、秩序を守るようになった。ただ、少し行き過ぎた面もあるとは思うけど・・。
だからすぐに先進国のような秩序を保てというのも無理がある。時間と人々の理解が必要。

それはわかってる。わかってるけど。
未然に防げるのにもかかわらず痛い思いをする人々を見てしまうと、もどかしい思いがしてたまらない。


Zhuji - Yiwu
走行距離 : 67.99km
平均速度 : 16.8km
最高速度 : 38.9km

2011年12月26日月曜日

―ケーキと涙にまみれて―


どこにでも姿を現します、Keiです。
呼ばれても呼ばれなくても、新たな面白い出会いを求めて誘われたらNOとは言いません。

KTVやパーティーが続いたクリスマスウィークも終わりが近づいてきた。
24日は、クリスマスイブと友達二人の誕生日が重なって幸せ3倍の日。
外国での日本料理店といえば、「鉄板焼」。
欧米じゃそこらじゅうにあるけど、日本では高級料亭を除いてあまりみないかも。大きな鉄板の上でお客を前にシェフが何でも料理してその場で出してくれる。お好み焼き屋がキャパを広げたみたい。

食べ飲み放題。普段の食事よりはるかに高いけど、特別な日だから。


そうそう、この味。
刺身やお寿司と一緒にわさびが口に入ったとき、一瞬だけどすごーく懐かしい気持ちになった。

集まった70人のうち8割がスペイン語を話すもんだからお祭騒ぎ。
メキシコ人ウタ・オドリ・オサケ大好き。

店員さんにもクリスマスを。グラスにワインをついで店員さんに渡すと、飲む飲む!つぐ度に「ガンベーイ!」そして一気飲み。そうだよね、クリスマスだもん。一緒に飲もうよ!

中国本土のようにデカイケーキが登場するもみんなお腹いっぱい。
そして中国のケーキは見た目はゴージャスだけど味と中身はいまいちなのはみんなご存知。
じゃあもう、顔だ!
Shang dan kuai la~~!」(メリークリスマス)
と叫びながら店内を走り回り、店員も巻き込みケーキのつけ合いっこ。
いつの間にかみんなの顔はクリームやチョコレートでいっぱい。
Keiが始めたんだよー!」
油断していた隙に後ろからクリームまみれの手に襲われた。

クリスマスの夜はMarcoの家でホームパーティー。杭州最後の夜でもあった。
朝市場に行って肉と野菜を買ってきた。今日は僕が料理を作らせてもらう。
これまで一緒に過ごしてきた仲間が集まり、楽しい夜だった。

せっかくできた友達なのに、もっと長く一緒にいたいのに、明日の朝この町を出る。

僕は旅人。
現住所なんかない。
自転車が僕の家で、車で、恋人。
そうでも思わなきゃ、この場所から離れられない。
長く居過ぎたかもしれない、でもみんなは「短すぎるよ」って言ってくれる。



次の日の朝になっても、杭州を離れるという実感が正直湧かなかった。
Luのお父さんが一緒に次の街までの約半分52kmを一緒に自転車で走ってくれた。
「ちょっと乗らせて。」
お父さん大丈夫かな。荷物満載の自転車は70kg近い。63歳のお父さん、またがってペダルに足をかけるが全く進まず、すぐにバランスを崩して倒れるを繰り返し。
ため息をついて、かなり落ち込んでいた。最初はマウンテンバイクでもないこの自転車と僕の痩せ型な体型を心配していたようだが、完全に信頼を得たようだ。
寒いので郵便局の中のベンチでお父さん手作りのお弁当とビールでお昼を取った。

ここでお別れ。
このときはじめて、この街を本当に離れるんだって実感がした。
色んな思い出がフラッシュバックして脳裏をよぎる。

涙が止まらん。鼻水も。

謝々杭州!

再見!


走行距離 85.52km
平均速度 17.4km/h
最高速度 48.7km/h






2011年12月24日土曜日

-みんなのクリスマス-


予定では今年のクリスマスはもっとずっと南西の田舎にいるはずだった。

きっと森の中で動物達と過ごすのかなーって思ってた。
考えてみれば森の中で動物達とクリスマスを過ごすのと、酔っぱらった人々とクリスマスを過ごすのと大して大きな差はないのかもしれないしね。僕も酔いつぶれちゃえば動物達もフレンドリーに見えてくるんだろうな。
そういえばヒゲも伸びたし、太ったしちょっとサンタみたいだ。

そんなことを考えながら日本を出発した気がしたが、空っぽだったはずのクリスマス週のスケジュールはいつのまにか埋まっていた。出会いってほんと素敵!ひとりで旅していたからから受けた恩恵だと思う。なぜかって、
よく、一人で寂しくない?怖くない?って耳がタコが出来るほど聞かれる質問だけど、

実は、ひとりじゃないんだ。

I'm with people,like you. いつでも、どこにいっても、必ず人がいる。
「知らない人じゃないか。」はい、最も。でも最初はみんな知らない人から始まったはず。
勇気を出して話しかけて、3往復でも会話のキャッチボールをしてしまえば、ほらもう友達。

じゃあもし誰か同じ人とずっと一緒に旅をしていたら。そのメリットも確かにある。
でもデメリットをあげろと言われたら、切がない。
旅人同士でも、カップルや仲間で旅行に来ている人たちを見ると「邪魔しちゃ悪いな」のような変な気を使い始める。結局新たな出会いを逃してしまう。最も、出会いなんかいらない、ずっと二人でいるんだ!って人はまた別の話だけど・・。

食べたいもの、行きたい方向、疲れや眠さの程度、その国に対する好み、人に対する価値など、考え方の違いからいつか歯車が合わなくなりうまく行かなくなるときがくる。じゃあその溝を埋める努力をすればいいのでは、と思うが、熟年夫婦じゃないんだ。お互い我慢しながらの旅も楽しいものが楽しくなくなってきてしまう。
旅は自由に出来てこそ旅だと思う。少なくとも僕の中での「旅」は。

日本もはじめからクリスマスがあったわけではないのと同様に、中国にはまだクリスマスというイベントが浸透していない。最近の都会の若者の間では日本と変わらぬ盛り上がりだが、田舎の家に帰ればクリスマスなんて外国の出来事。ケーキも食べないし、クリスマスがないから、サンタも、来ない・・。
僕なんて結構大きくなるまでサンタに手紙を書いて枕元に置いて寝てたんだけどな・・。

しかし、バブルの中国、ここ杭州でもクリスマスムード全開!
今イタリア人と中国人の夫婦の家に泊まらせていただいているのだが、その家の彼(マルコ)と一緒に勇士を集め、聖歌隊を結成した。杭州のBarとレストランをクリスマスソングを歌いながら周り、クリスマスを届けよう。
そうして集まった15人ほどの仲間でマルコの家で練習を重ね、ついに本番当日が来た。
当日の朝も一人で3時間ほど町を散歩しながら歌って練習した。

飛び入り参加するお客さんも店員さんもみんな巻き込み、一軒一軒歌って周った。

お店だけじゃない、寒い中仕事をしている警備員や、焼き鳥屋台のおじさん、道端のおばさん、客待ちのタクシーの運ちゃん。

たとえそれがひとりでも、僕らは歌った。
そしてそこにあったのは、たくさんの笑顔。
拍手、そしてもらった大量のみかん。笑
Barにいる人たちも、店員さんも、僕らも、みんな「始めまして」の人たち。
同じ歌をみんなで歌い、リズムに乗り体を一緒に動かし、同じ気持ちになる。クリスマスがみんなを繋いでくれた。

今までの人生で一番のクリスマスだった。

(きっと来年も同じことを言うと思うけど☆)


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   □ ★☆ I wish you all a Very Merry Merry Christmas! ☆★   □
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2011年12月17日土曜日

杭州Lipdub (中国最大)



Lip-dubって何?

って思う人たくさんいると思う。僕も全然知らなかった。
そんな人には、コレ【Lipdub (UVic Uni)】見たら「あーコレが!」ってわかると思います。

この日、浙江大学に留学しているメキシコ人たちが企画・主催して行われたLip-dubに参加してきた。
今までに小さいものはいくつかあったようだけど、中国で行われるLip-dubとしては最大規模 so far
地元の学生や世界中から来た留学生を集め、数ヶ月前から計画を練って練って完成させた作品。そんな貴重な機会に参加させてもらえてほんとに幸せ 。

当日、撮影会場となった浙江大学のキャンパスは大盛り上がり!
 lady gagathe edge of gloryの曲に合わせてキャンパス内をカメラが動いていく。
中国ならではの太極拳やメキシコらしいド派手なバイクや衣装も登場。
めざせ1000人!には少し届かなかったけど、あれだけの人数が協力して、ひとつのすばらしい作品を完成させた。素敵すぎる!

あれから数日後、試写会が行われた。
大きなスクリーンに映し出された映像をビデオカメラで撮ったんだけど、みんな絶叫しすぎてノイズがすごい・・。なので完成品ができるまでお楽しみということに★

でもこのイベントのおかげでさらに100人くらい友達ができた気がする。
どうする、どうしよ、離れられるかこの街、杭州!

いや、来週の月曜日にはもう離れるって、決めた!

もうすぐクリスマス。

僕が一年でいっちばん大好きな季節。

だから10月からもうすでに僕のiPodにはX'masソングがスタンバイされ、11月上旬にはクリスマスツリーを出す。12月上旬にはX'masパーティーの準備。コタツより早いクリスマスツリー。コレ我が家の基本。

それも今年は早々に旅立ってしまい、我が家は遠いニッポン。
聞けばつい先日、ルームメイト達がうちでX'masパーティーを開いて、すごい楽しかったとか。なんてこった。みんなに会いたいよ、涙がちょちょぎれるじゃないか。

でもみんな元気そうで良かった★;:*’**-


2011年12月15日木曜日

-葛藤-




ある日の夜、Luと一緒にShuとChenChenが待つカフェへ向かった。
吐く息は白く、手袋をしていても指がかじかんでおもしろいことになってくる。

交差点で信号待ちをしていたとき、ふと気づくと大きい土嚢袋のようなものを担いだ30代後半くらいの男性が隣に立っていた。薄いジャンパー、汚れたズボン、頬は若干こけ、髪はぼさぼさだった。
すると彼は手でお腹を摩りながら切ない顔をして小さな声で何かを言っている。
僕はつたない中国語で「お腹空いているのですか?」と聞くと「今日は何も食べていない」という。
Luは「彼はうそをついている。放っておけばいいよ」というが、どうしても放って置けなかった。
僕は「ついてきて」と、近くのコンビニまで一緒に行き、温かい飲み物と食べ物を買って彼に渡した。彼は「謝謝。謝謝。謝謝。」と繰り返しながらも、すぐに温かい肉まんにかじりついていた。
お腹が空いていたんだ。とっても。
手渡したときに触れた彼の手、ありえないくらい冷たかった。

カフェに着くと、Luは先ほどのことをShuたちに話していた。人生で初めて見た光景だって。
今日、実はChenChenの誕生日だった。Luも僕も知らなかった。
ケーキを食べて、歌を歌って一緒にお祝いした。

すると、カランカランとコインを入れたコップの音が聞こえ、振り向くと50代くらいの女性だった。中国ではベガー(物乞い)は珍しくない。よく話を聞くと、5人の子供を置いて黄山から来たのだそう。とても高い山が連なる水墨画でよく見る場所だ。生活が苦しく、大きな街に来てみたはいいけども、仕事も家もなく、空きビンを拾って売ってわずかな収入を得て生活しているのだと言う。寒いのに、家がない。手ぶらでは故郷に帰るにも帰れない。子育てが原因で左肩が上がらなくなり、動かすと激痛がはしるらしい。Shuが中国語でそのようなことを話しているうちに彼女は目に涙を浮かべ始め、泣き出してしまった。
たまらずに「大丈夫だから。」と抱きしめながら、口から日本語が出てきた。
寒いよ、辛いよ。抜け出したくても抜けられないこの生活。僕らができることって何だろう。
ひとまず椅子を用意して、座ってもらって話を聞いた。
温まると彼女の表情が少しずつ緩やかになってきた。写真やビデオ、こちらが見せる手品などにも笑ってくれた。
肩をかばいすぎてずっと動かさないでいると硬縮してしまうこと。無理しないでマッサージなど自分で出来る範囲のリハビリがあるということを伝え、一緒に行った。あと自分たちに出来ることはなんだろう。本当はここに自分の家があれば泊めてあげたい。
彼女は「黄山に来たときにはぜひ私の家に来てください。」と言ってくれた。きっと自分に余裕なんてないのに、僕らに気を使ってくれた。

この日のChenChenからのメール:「本当は誕生日なんて計画してなかったのに、奇跡が起こった。Keiたちが私の人生を変えた。」

これを読んだときは本当に嬉しかった。
人は人の行いによって変わることができる。
人は人を変えることが出来る。
それが前向きに変わったならば、とてもすばらしいこと。
いくら考えても悩んでも、自分ひとりではできないことがある。
不可能だと思っていたことも、他の誰かがそれを成し遂げたとき、自分にも出来るかもしれないと思えるときがある。
今の中国は日本でいう80年代にあたるバブル時代。豊かな人々が急増する一方、必ず出てくるのが貧富格差。そんな時代に育った最近の若者や、成功し富を得た人々はこの格差社会が生み出したいわゆる貧困層の人々(特に物乞い)を「なまけもの」だとか「自業自得」と呼ぶ。働く力があるはずなのになまけているんだ、またはお金がないと嘘をついているという。
出張で中国に来ているおじさんも同じことを言っていた。
「中国人は自分のことを一番に考える。親や友達、他人がどうであれまず自分。」
いかに人より上に立つか、富を得るかという考え方が先にくる。まてよ、これはインドにいた時にも同じ話を聞いた。

これまで途上国と言われてきた国が今、急速に発展を遂げようとしている。このとき誰もが豊かな生活を夢見る。そしてそれが現実に得られるかもしれないということがわかった時、必死にそれを逃がすまいと夢中になり、周りが見えなくなる。見る余裕がなくなってくる。
僕もこの国この時代の彼らの中の一人として生まれていたとしたら、同じように思うのだろうか。
貧しくなったのは自業自得と思ってしまうのだろうか。

寒空の下、薄い服装で路上にひざまづき、震えながらコインを求める少女に、笑いながらコインを投げつける若者を見ても何も感じないのだろうか。
いや、そんな人間にはなりたくない。
今、もしこの国に生まれたらとか、どの時代に生まれたらとか、そんなの関係ない。
全て時代のせいにして、社会の歪みが生まれ、辛い思いをする人が出てきてしまうのなら、
それを「しょうがない」と呼び、放っておくことを正しいとは思いたくない。
凍える彼らに、まだ火のついたタバコを落としていったビジネスマンを見たときは、怒りに震えた。

同じようにお母さんのお腹から生まれ、同じように御飯を食べ、同じように寝る。同じ人間だよ。
同じ人間として放っておくことは出来ない。

職場じゃないんだ、部下でも上司でもないんだ。
人の上にも、人の下にも、人はいない。そう信じてる。

たまたま僕は日本に生まれた。
父も母もいて、学校にも行かせてもらった。仕事も家もある。

同じく、たまたま彼らは中国に生まれた。
学校に行くだけのお金はなかった。明日食べる御飯があるかもわからない。

ならば助け合うべきじゃないのか。

全てきっと、たまたまなんだよ。もしかしたら自分が逆の立場だったかもしれない。
その時「しょうがない」「なまけものだ」と言われたとしたら・・・。悲しいよ。
生きてることをうらむかもしれない。もう生きたくないと思うかもしれない。

カフェで会った女性は言った「貧しい家の子供は亡くなっても、しょうがないと言われてしまう。」って・・・。

これまで幾度となく他の途上国でもこのもどかしい思いをし、自分自身と葛藤してきた。
きっとバックパッカーなら誰しも経験する葛藤なのかもしれない。
自分らがこの葛藤の真ん中に立った時、どう思うか、どう動くかは人によって違ってくるのものだと思う。

2007年、東南アジアを一人旅したときだった。
カンボジアのシェムリアップでアンコールワットに行ったあと、一緒にいた韓国人2人と、日本人2人、イギリス人1人とご飯でも食べようかとマーケットをフラフラと歩いていた。すると、ズボンの裾が何かに引っ張られている。見ると、5歳くらいの少女が「ワンダラー、ワンダラー」といいながらくっついて歩いていた。
韓国人が立ち止まり「ケイー!」と言うので振り返ると、彼らの周りには2~3人の子供たちがくっついていた。
僕らは知っていた。一人の子に渡してしまうと、「じゃあ私も!」と終止符がつかなくなることを。
いつのまにか何十人という子供に囲まれていた。誰一人笑っていない、何か悲しいそうな、切ない顔をしている。

お金ではなく、何か他の事が出来ないかと、旅中ずっと考えていた。
その時、14歳の少女が、2歳くらいの眠った赤ちゃんを抱えながら僕のもとに来て言った。

「お腹空いた・・。」

僕はハッとした。まだ子供じゃないか。お腹が空いているんだよ。喉が渇いているんだよ。
ひらめいた。すかさず思いついた作戦を友達に伝えると、みんな大賛成!

僕らは食堂(外の屋台)のテーブルを全てつなげた。足りないイスは近くのバーから借りてきた。
子供たちをイスに座らせると、みんな何が始まるんだろうとキャッキャと騒ぎ出した。
即席で作った大きなテーブルいっぱいに料理が運ばれてくる。

「みんな何飲みたい?好きなものとっておいでー!」

というとクーラーBOXのような大きな箱からソーダやオレンジジュースをつかんでは嬉しそうに席に戻る。

「よし、さあ,いただきまーす!」

みんな最初は恥ずかしそうに遠慮がちにしていたけど、次第に小さな子からはじまりだんだんみんな夢中で食べ始める。まるで幼稚園とか小学校の給食の時間に戻ったような感覚。

30、40人ほどいただろうか。もちろんイスなんか足りず、僕らそれぞれの右足に一人、左足に一人ずつ座らせ、テーブルが高くて届かない小さな子供には少し大きな子供が食べさせてあげている。とってもほほえましい。

だいたい彼らの母親たちは、少し離れた柱や建物の影からそっと見守っている。正確に言うと、子供たちが何か旅行者からもらって帰ってくるのを待っている。その親たちも笑っていて、こっちに来てくださいと手招きすると、子供たちもお母さんの手を引っ張りに行き、「おかあさんもおいでよ。」と言っている様だった。

お腹いっぱいになった給食のあとは、運動会が始まった。やんちゃなカンボジアの子供たちは容赦なく飛び掛ってくる。日本人の友達はもう子供三人をおんぶにだっこ、すでに埋もれていた。女の子の友達は女の子同士折り紙を教えたり、アルプスいちまんじゃくの手遊びをして遊んでいた。僕はというと、後ろからカンチョーしては逃げる子供たちとの追いかけっこ。まるで町中に子供たちの笑い声が響いてるようだった。

楽しい運動会は深夜2時まで続いた。抱かれてウトウトし始める子供もいた。そろそろ帰って寝る時間だ。帰る頃には誰も「ワンダラー」と言わなくなった。
次の日、同じ場所に行ったときもただ「遊ぼ!」と、飛び掛ってきてまた運動会が始まる。

これが正しいのか、何が正しいのかなんてわからない。ただ少なくとも言えることがある。

・彼らはお腹が空いていた。(僕らと同じだ)
・遊び盛りの小さな子供だ。(僕らもそうだった)
・子供たちがほんとうに欲しいものはワンダラーだけじゃない。
・笑顔になった子供たちがいた。
・その子供たちの笑顔を見て笑顔になった大人たちがいた。
・それから、僕ら外国人を友達だと思ってくれたこと。

あの時は、それで良かったんだと思う。

これまでに似たような経験と葛藤を繰り返してきて得たphilosophyがある。
If you are hungry,I give you a food.
If you are thirsty,I give you a water.
If you feel cold,I give you a blanket.
If you feel lonely,I give you a hug.
これはバングラデッシュのダッカでマザーテレサの教えの元、助けを必要としている人々のために汗を流すシスター達から学んだ教訓。今までで一番ビビっときてしっくりきた言葉。

そして、
「まず自分より他人を第一に考えること、自分のことはその後。」

その人は何で困っているのか、何を欲しているのか、そして手が必要とわかれば手を差し伸べる。
One for all,all for oneと同じだね。
この二つの言葉たちを常に心の中に閉まって旅するようにしている。すると不思議と、自分がした行いというものはいつか返って来るものだということがわかった。いつか自分が困ったとき・・助けてくれる人達が自然と周りにいる。

世の中には一人では出来ないことがたくさんある。例えば東北や和歌山で、2階から水を吸った畳を25枚降ろさなければいけなかった時。水を吸った昔の古い畳というのは150~200kgにもなる。ひとりではびくともしない。二人でもムリだ。三人だと半分持ち上がる。四人なら引きずりながらも窓まで持っていき、下に落とすことができる。

一人じゃできないこと、みんながいたからできたこと、たくさんあるんだね。

話を中国に戻すと。。

起こっていることは確かに事実として存在する。ただこの国、この社会の中で流されてしまうことなく「河原啓一郎」としての自分はぶれないように生きていきたい。

そしてこれからの長い旅、知らない世界、出合ったことのない価値観、驚き、感動、失望、新たな葛藤が必ず待っている。だって、始まって二ヶ月でこんなに盛りだくさんのことが起こるんだもの。

あと3~4年後、旅を終えた後の自分はどうなっているのかな。
わくわく!



長文読んでいただきありがとうございました。
kei

2011年12月12日月曜日

中国的朋友(中国の友達)



杭州には出張で来ているおじさんが住んでいる。
街についてすぐ、日本料理の居酒屋に連れて行ってくれた。店内は日本の居酒屋を少し豪華に再現した感じの造りで、寿司や刺身、サンマの塩焼きがとても美味しかった。中国料理が美味しすぎてそればっかり飽きずに食べていたので日本料理がこんなにさっぱりしているものだということに改めて気づいた。そういえば最近太ってきたかもしれない。いい感じに酔ったおじさんとふたりで夜市へ行った。どうやら常連らしく、中国語で値切り交渉をしながらも潔くどんどん買っている。GUCCIの財布を買ってもらった。もちろん偽物だけど笑。
出張に行くと日本で聞いたときは、苦痛で仕方ない様子だったのに、楽しそうな様子を見てなんか少し安心した。
はじめ食べ物が合わないのとストレスで胃潰瘍になったって聞いたときは心配したよ。
日本にいるおじさん家族のみなさん!洋司おじちゃんは元気ですよ~!


仕事で忙しいおじさんのところには一泊だけ泊まらせていただき、その後の杭州生活のほとんどをLuさん一家のお宅でお世話になることになった。歴史的な町並みの中でも特におしゃれな河坊街という一日中歩行者天国の道がある。中国中から観光客が集まりにぎわう。そこを道一本入った場所にその家がある。お父さんは料理が上手で、毎晩美味しい地元料理を作ってくれる。お母さんはいつも笑顔で、中国語を教えてくれる。娘さんのLuとルームメイトのJingも優しくてとても仲が良くて、ほんとに温かい家族。
これからの杭州生活はLuとその自転車友達のShuとRyu、Chenchenと共に過ごすことになる。
Shuは一見物静かだけど、色々と興味深い話が出来る。旅行会社に勤め、春に仕事を辞めたらRyuと一緒に四川からチベット、ネパールへと自転車の旅を計画している。きっと時期が重なってその辺で再開できるかもしれない。


日曜日の午後、湖のほとりにみんなで自転車で行き、持ち寄った食べ物とワイン、それからその場で日本の味噌汁を作ってピクニックをした。写真はLuとShuがふざけあってLuが湖に落ちたあと。ゆっくりと流れる時間、冗談言って笑い合って、このままみんなとずっと一緒にいたいなって思う。


この国の人はカラオケが大好き。杭州でも何度か誘われて行った。こっちではKTVと呼ばれ、台湾のKTVと同じ。日本と違うところといえば、テクノロジーを駆使した部屋の設備と、必ず部屋にはお酒とサイコロ&カップがついてくる。さすがIT時代のバブルを行く中国、日本の液晶リモコンが時代遅れに思えてきてしまう。ダイスはもちろんドリンクゲームをするためで、ゲームだから夢中になってサイコロを振ってるといつのまにかすごい量飲んでいることに気づく。
この前は4人でビール瓶24本、その前は5人で48本も空けた。





2011年12月10日土曜日

旅の時間



杭州に来てから一週間が過ぎた。
杭州には5日間程滞在してから次の街に行こうと思っていた。
歴史ある古い町並み、何度でも訪れたくなる美しい西湖、いくつものおしゃれなカフェ、飽きないローカルフード、歩いているだけで楽しい夜市、新しくできた愉快な友達。
離れるに離れられない理由がたくさんあって、いつのまにか長居してしまった。




でもちょっと待て、じゃあ逆に離れなきゃいけない理由ってなんだろう。

まずVISA。90日間有効のダブルエントリー(二次入境可)で、一度だけ30日間の延長ができる。
つまり120日以内にベトナムまで抜けないといけない。
次に寒さ。モンゴルのほうから次第に本格的な冬がゆっくり近づいてきている。もうすでに今朝も-2℃だったけど、来月になればもっと寒くなる。
寝床。滞在する場所はありがたいことにいくつか見つけた。御飯も毎日お腹いっぱい、泊まらせていただいている家族が作ってくれる。ベッドを用意してくれる方もいるけど、申し訳ないから家の空いているスペースに寝袋を敷かせてもらって寝る。

よく考えればどれも大きな問題ではない。むしろこんなに歓迎してくれるなら、迷惑にならないのなら、お言葉に甘えてもう少しいてもいいかなって思う。

もともと生まれながらにスーパーマイペースな性格。小学校の通知表からずっと「マイペースですね」と書かれてきた。
じゃあVISAが切れそうになったら。ヒッチハイクでも電車でもバスでも乗って国境を越えればいい。
飛行機に乗らなければ、ローカルの交通手段で地面を這いつくばってでも進めば僕のルールに反していない。
「世界の田舎に泊まろう!」先を急ぐことよりも、もっともっと世界中の地元の人たちと少しでも長く楽しい時間を過ごすことの方を大切にしたい。そっちの方が僕らしくてしっくりくる。
そう思えたら、なんかもっと楽しくなってきた。

そして中国人も、この国も元々好きだけど、好きなものがもっともっと好きになってきた気がする。

2011年12月2日金曜日

-中国富豪生活-



10月から12月まで中国は結婚式シーズン。
昼間からあちこちで花火が打ち上がる。普通に街中の駐車場とかで打ち上げるから近くを通ったときはすごい音にびっくりしてしまう。

この日も友人の結婚式があるというのでぜひ一緒にと言われ、参加することになった。
いい外車に乗らせてもらい桐乡から走ること3時間。さすが彼の友達だけあって、家族も友達も富豪ばかりが集まってきた。
会場内が人でいっぱいになり、爆音の音楽と紙ふぶきとレーザー光線、大拍手とともに新婦と新婦の父親が登場。新郎の元までゆっくりゆっくり歩いていく。日本とあまり変わらない演出だ。ただ、食べ物の量を除いては。
次々と料理が運ばれてきて大きな丸テーブルがお皿でいっぱいになった。どれもこれも美味しいものばかりで幸せ。料理がお花畑に見えてきた。空いているお皿を下げてもテーブルに乗り切れなくなったところで、「すごい料理だったね。」と言うと、

「いやいや、まだこれで半分きたところだよ。」

なんてこった。冗談かと思ったら本当にさらに次から次へ豪華な料理がきた。お皿の淵と淵の上に上手に積み重ね、二段重ねになっていく。ステージ上で行われていることなんかそっちのけでみんな食べるのに夢中になっている。

外では花火が再び打ち上がり始め、式も終焉に。
やはり半分ほど料理が残ってしまっている。でもこれには理由があって、お祝い事や人にご馳走するときは食べきれないくらいを出すことによって相手を満足させないといけないらしく、もし綺麗に食べてしまうと、「ちょっと足りないんじゃないの?」と思われるんだとか。ちなみにアヒルと亀は結婚式にかかせない食べ物らしい。僕はモッタイナイ精神が全開になり、口に入れられるものはどんどん詰め込み、掴めるものはつかんで会場をあとにした。隣を見ると同じことをしているおばさんがいた。
彼女と目が合った瞬間、ハムスターのようになった僕のほっぺたを見てふき出してしていた。

はい、僕の勝ち。
一番高い中国ワインといわれているものの見開封品をゲット。値段は・・すごい。
杭州に住む僕のおじさんへのお土産にしよう。

夜は昨日カラオケで知り合ったドーナッツチェーン店の若社長がお店でコーヒーとドーナッツをご馳走してくれた。やっぱり山盛り。
彼らは桐乡最後の日に見送りにも来てくれ、しかも途中まで車で誘導してくれた。
全部ご馳走してもらって、本当に感謝の気持ちでいっぱい。
きっと僕が旅で使う一か月分の旅費を三日間で彼らは使った。

たぶん最初で最後の富豪生活体験、ごちそうさまでした。