2011年12月1日木曜日

夢と伊勢丹の紙袋



Emmaは一ヶ月雲南省昆明へボランティア。walmerは一ヶ月カナダへ一時帰国。僕は桐乡市tonshanへ。
二人は飛行機で、僕は自転車で。

毎日packingunpackingこれは旅するものには避けられない使命。
それにしても荷物が多すぎるよね、うん。
七つのバッグをパッキングしてさらに自転車に積み込む。ただ積むだけじゃなく、落ちないように、キャリアに負担がかかりすぎないようにゴムロープでグルグルにする。他にも出発前にはネジの緩みやパーツの欠損がないかのチェック。結局30分くらいかけてやる。
和歌山の被災地で誰かが言っていた「準備が90%」。
これは色んな場面で思う。
ただ。必要のない準備や、終わっているのにまだ準備しているからと言い訳して実行に移さないとではまた違う。
長すぎると、おじいちゃんになっちゃうもんね。

要は、「まだいいかな」「いつかでいいや」っていう言葉を言い訳に実行に移さない。
これってよくない。かっこ悪い。
あるもの適当にバッグに詰め込んじゃえばいいんだ。
パンツとTシャツとパスポートと夢だけ持って飛び出せばいい。
実際僕が大学生だったとき、伊勢丹の紙袋にパンツとTシャツ、パスポートとカメラだけ入れてニューヨークを数週間旅してきた先輩がいた。
彼からその話を聞いたとき、鳥肌が立った。何故かすごくワクワクしてきて、一日興奮して眠れなかった。
きっと彼の伊勢丹の紙袋には夢がいっぱい入っていたに違いない。
実際何が必要で何が必要じゃないかっていうのはやってみてからじゃないとわからない。
僕もここに来るまでにいろいろ捨てた。

そしてこれも誰かが言っていた(誰か思い出せない)、
「足踏みしてても、靴底は磨り減っていくんだぜ。」
その通りだと思う。

後悔がこわい?
「どうせやらないで後悔するなら、やってから後悔しろ。」
これ座右の銘。


今日は桐乡Tonshanに向かう。
上海・蘇州・杭州を結ぶ幹線道路は整備され、すごく走りやすくなった一方、どこまでいっても変わりばえのない景色に飽きてくるというのも事実。
こうなったら出会いに期待するしかないでしょ!
Tonrouからビッグスクーターで来たカップルが自転車と並走して話しかけてきた。ちょっと話して去っていったが1kmくらい先で停車して待っていた。
「写真を撮ろう!」
それから始まり、かれこれ30分くらい話していた。
太陽が沈み、気温は5℃を下回る。サンダルで走っている僕を心配してくれた。お腹空いているだろうと、パンとチョコレートもくれた。
他にも書ききれないくらいの出会いが毎日いっぱい。


船の中である中国人が言っていた「知らない中国人と友達になるとか、泊まるとか不可能だよ。」

そうかもしれない。そうだったかもしれない。
そんなの、僕が変えてやる。

上海で「こんな優しい日本人初めて会った。」
って言われた。・・じゃあ今までどんな日本人と会ってきたんだろうって考える。
ビジネスで来ていた日本人セールスマン、仕事以外はbarKTVで飲む。おネエちゃん付きで。
お金は落としていくけど、値切る以外は話そうともしない。
あるカップル。今日はホテルとブランドショップの往復しかしていない。

少なくとも彼ら中国人にとっての日本のイメージがそれだけではないと思ってもらえらただけで嬉しかった。
僕も最初は正直恐かった。たくさん無視もされた。
でも単語帳を開いて一生懸命話しているうちに、お互い笑顔になり、いつのまにか友達みたい。
この瞬間が嬉しい。だから旅はやめられない。

この日、鳥鎮という村で間違えて森の中に入り迷ってしまい。町に到着するのが夜になってしまった。
でも泊まらせていただいた家の夫婦がとても温かく、寒空の下97km走った最後に報われる思いだった。
しかもとてつもないお金持ち。夜カラオケ(KTV)に連れていって貰ったら、仲間は二十代なのに富豪だらけ。日本のカラオケと違い、フルコースの料理と飲み放題、そしてオネエちゃん(僕にはついてないです)。KTVの中でもレベルが違う、内装は高級ホテル、ありとあらゆるものが金ぴか。レッドカーペット。
うそーーーん、これは夢か。そしてゲストとしてもてなされる。
今度オープンさせるbarに僕の写真を飾るって。
うひゃあ。
これがうわさのあれだ。すごい貧富の差を見てしまった。
毎日貧乏生活のはずなのに、今日は違う世界に行きました。


今日のお昼、6元のワンタン麺。
夜、1000元のカラオケ。

中国、おもしろくなってきた。

蘇州-桐乡市
走行距離:96.6km
平均速度:18.6km/h
最高速度:47.8km/h

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