2012年2月6日月曜日

-本当の一人ぼっち- 中国




江西省に入ったばかりの頃だっただろうか。
僕は右手に、その日注文しすぎて食べきれなかった料理を詰めたタッパーを握り締めていた。

その時泊らせてもらっていた家の女の子(30歳)と夕飯を食べて家に帰るところだった。
楽しく話しながら歩いていると、薄い毛布に包まって小さく丸まって寝ているおばあさんが目に入った。白髪で、穴が空いて汚れたジャケットが見えた。
前の晩は雪が降ったくらいで、その夜もかなり冷え込んでいた。

僕は横目で見ながら一端通り過ぎてしまったが、後ろ髪を引かれるようにそのおばあさんの元に戻った。友達は笑っていた。
まだ温かい料理と少しのお金を添えて、ぐっすり眠っているその人の枕元にそっと置いた。

「ははは、何でそんなことするんだい?」

と友達は言った。

「今夜はこれで御飯を食べれるけど、明日食べるものがあるかもわからないでしょ。」
そう僕が言ったあとに友達から衝撃の言葉。





いいじゃん。明日きっとゴミ箱をあさって食べるでしょ。ハハハ。





・・・・。

僕は怒りを通り越して呆れた。

「彼女がもし自分のおばあちゃんだったらどうする?ゴミ箱をあされと言えるの?もし自分だったら?」

泊めさせてくれている家の人なのでそれ以上強くは言わなかった。

「自分の家族がこうなるなんてありえない。比較なんてできないし。」

そう言って彼女は黙り込んだ。
その夜、先ほどの出来事について彼女と話し合った。お酒が少ししか飲めない彼女だが時々ストレスを紛らわす為に大量に飲むという。この日もかなり飲んで話が止まらなくなった。
すると次第に話を聞いているうちに「お金を失うのが怖い。」「父の会社が潰れたらどうしよう。生きていけない。」「お金・・」「一人は寂しい・・」といった内容の話になっていった。

「中国人はお金を第一に考える。」「家族だって友達だってお金で買えてしまう。」
そう言う中国人に沢山会ったが、彼女もその一人だった。

30年彼女なりに生きてきて彼女なりの考えもあり、それを否定しようとは思わない。
ただ、その考えの末に何が待っているか、僕はだいたい予想がついてしまった。もしこのような人々が何よりも大切な「お金」というものを失った場合。

完全に「一人」になってしまうだろう。

本当に自分が困ったときに助けてくれる仲間が周りにいない。それが本当の「一人」。
ならば無償で助け合うべきじゃないのか。見返り?そんなことは考えるな。もし本当に見返りが欲しいなら、それは忘れた頃に必ず廻り廻って返ってくるから。


そんな人々に心のどこかで半ば呆れながらモヤモヤした気持ちでここ一ヶ月ほど過ごしていたが、ここ武漢に来てそれを覆すかのように素晴らしい出会いに巡り会った。

知り合った人を通じてある老人福祉施設のボランティアに参加させてもらえることになった。日本人が参加することになって皆さん驚きながらも大歓迎して頂き、一緒にお年寄りの方々とお話をしたりおやつを食べたりと楽しい時間を過ごした。

上記写真のスタッフの女性、寝たきりのおばあちゃんに寄り添い手を握り、太陽のような温かい笑顔で話しかけていた。他の若い男性達も、暖房の無い部屋でお年寄りが寒くないか気を使いながら優しく話していた。お年寄りの方々も若者が来て嬉しそうで終始笑顔を見せてくれた。逆に気を使って「今日は寒いねえ。これあんたにあげるわよ。使いなさい。」と使っていた湯たんぽを渡してくれるおばあちゃんもいた。

渡してくれた湯たんぽも冷たかったけど、おばあちゃんの手も冷たかった。
でもなぜだろう。心だけじゃなく体も温かくなっていく気がした。
ありがとう。。おばちゃん涙

僕は江西省の一軒もありここ最近中国人に対する捉え方が少し曲がってしまっていた。
この寒い冬と共に、僕の心も凍ってしまっていた。
ただそれも今日まで。
お年寄り方とボランティアさん達のやり取りを見ていて完全にその氷が溶けた。
窓際で寡黙にどこか悲しげな表情で座っているおばあちゃん。
よく見ると長野のおばあちゃんに似ているじゃないか!
きっとこの人も誰かのお母さんであり、誰かのおばあちゃんなのだろうな。
なんか自分のおばあちゃんに会いたくなった・・。
どこの国に行っても、そこは何も日本と変わっちゃいない。親がいて、子供がいる。
お正月なのに施設にいて家族にも会えない彼らにとってボランティアの存在は大きいのだろうな。
彼らの存在を知らずに中国人に対し一方的な見方をしていた自分が恥ずかしい。
そんな反省をした一日だった。

何となく持ってきた沖縄三線が大好評。
一緒に中国語の「花心(huashin)」を歌ってくれた。
弾いている時は全然気づかなくて、むしろ下手な自分に恥ずかしい気持ちの方が大きかったんだけど、後でビデオを見たら三線てなんて落ち着く音なんだろうと驚いた。600年前に中国から日本に渡り、今逆輸入して世代を越えて戻ってきた。同じ民族として心への響き方も同じなのだろうか。そうだったら嬉しいな(^^)

素晴らしい人々に出会えて幸せ。

今後はしばらくこの街に滞在し、障害児の施設なども周り一緒に活動させてもらうことに。

翌日、テレビの取材依頼が入った。

123日から15日間続いた中国正月も終わりを迎え、最終日は初日の次に盛大に盛り上がる日。中国中がおめでたいモードに溢れかえり、もちろん朝から花火は鳴り止まない。
その特別な日に、武漢に自転車で来たサプライズな日本人がいるとどこかから噂が入り、お祝いの会場でインタビュー形式で収録が始まった。自転車と装備も持ってきて欲しいと言われたのだが重たいバッグを積んで行くのは大変。そこで家中の枕を集めてバックに押し込んで膨らませた。
衛星放送を通じて日本でも流れるというので日本語でも一言お願いしますと言われ、だいぶ本国じゃ遅い新年の挨拶をしてみたり。でも公共の電波でかつ外国人だから使う言葉も選ばなきゃいけないし、相当デリケートになる。

来週CCTV4、湖北TVで放送予定だそう。
あー変な汗かいた。

ちなみに文頭に書いた江西省の彼女から3日前メールが来た。
 わーびっくり!

メール:「父の会社、今日で辞めたよ(^^)」

うそ?!ちょっと嬉しかった。



これから旅に出る。自分の人生だから、行きたいところに行き、やりたいことをするんだそう。もうお金や仕事の縛りは考えない。イスタンブールにいる好きな人のところに思い切って行ってみるって。


いいぞ(^^)/ 頑張れー!!

漢口hankou to 武昌wuchang

走行距離:88.69km
平均速度:13.4km/h
最高速度:31.7km/h

2 件のコメント:

  1. 波照間emiko2012年2月9日 11:27

    めっちゃ感動...!

    私はいつになったら
    keiを越える程の器になるのだろうか...

    本当出会えて良かったよ!

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  2. ありがとう!

    僕なんて越えなくても、Emichanも立派な優しい広い器を持ってることを僕は知ってるよ(^^)

    沖縄三線はEmichanに会っていなかったら今僕のチャリに乗っていなかったかも知れない。

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