2012年8月18日土曜日

ー大切なパートナーとの別れー



実は僕には旅の仲間であり(小さな)彼女である大切なパートナーがいた。
facebookには載せてブログにはまだ書いていなかった。

彼女の名前はチーズ。
シマリスの子供で、浙江省杭州からずっと一緒に旅をしてきた。



果物が大好きでいつも僕と半分こして食べていた。
甘えん坊で人懐っこくて、時々ボランティアにも一緒に連れて行くとおじいちゃんおばあちゃん達も喜んでくれて。みんなチーズが大好きだった。


時々おしっこをするけど、安心するのか肩に乗っているのが好きで、杭州の西湖でマルコ達のギターの演奏会をしたときもしっかり肩にちょこんと乗って皆に挨拶をしていた。



していた・・。
そう、その大切なチーズにこの街で悲劇が起こった・・。
こう始まった。

特に真っ黒になったこの日一日の汚れを洗い落とし、安旅館を出て夜のRuzhouの街に一人繰り出す。夜市で手作りのアクセサリーを売っていた学生達と友達になって話をしたり、屋台でビールと米銭(春雨拉麺)4元(50円)を食べながらpadで映画を見てリラックスしていた。


夜0時をまわった頃、宿の男達が車で迎えに来た。昼間は割と無愛想な接客だったので、きっとたまたま通りがかったところを見つけてくれたのかなと思って乗ったら、本当にわざわざ探して向かえに来てくれたらしい。優しいじゃない。

もう少し外でゆっくりしていたかったけれど、せっかくだから宿に戻る事にした。宿の入り口をくぐった瞬間、フラッシュが焚かれた。宿のロビーで集まっている慌ただしい男達。新聞記者たちだった。
昼間無愛想だった従業員達もころっと態度を変え飲み物やらフルーツを用意してある。こいつら・・ 彼らがメディアに流したのがわかった。利益だ。

今日はとても疲れていたし、この時期外交関係がアル島の問題で敏感になっていたというのも知っていたから静かにしていたかった。地元紙の彼らは知っているのだろうか、それともそんな事、記事が書ければ関係ないのだろうか。それに僕が何よりも怒ったのは、挨拶も名刺も無く、遠くからフラッシュを焚き、かってに取材を始める礼儀の無さだ。上海・杭州や武漢などの大都市の記者はしっかり礼儀を重んじているが地方都市の記者はどうしてこうだらしないのだ。南陽のある記者の男は取材中にiphoneでゲームを始め、鼻くそをほじってあくびする始末。終いにはもう帰っていただいて結構です!とそれから30分程説教をした。

書ければいい。給料さえもらえればいい。じゃないでしょ。大勢の市民が読むんだよ。記者たる者命を張って取材しなきゃ。だからココの記者は・・って言われちゃうんだよ。間違った報道を訂正するにはどれだけの力がいるかわかるでしょ。無垢な子供は、大人を信じて、間違ったことでも信じて育ってしまうよ。

そんなプンプンした夜の話はここまでにして。

その宿のオーナーが次の日街の歴史あるお寺などを案内してくれるというのでまともな記者と通訳さん同行のもと観光する事になった。
翌朝、1000年以上の歴史を持つ仏舎が並ぶお寺、白雲禅寺に向かった。
2時間程敷地内を歩き、丘の頂上まで登り古い町並みを見下ろしながらしばらく風に当たり涼んだ。チーズもこの日一緒に着いて来て、皆の肩から肩へ飛び乗っては、参拝に来ていたおじいちゃん達を驚かせていた。

山の中の洞窟の中に作ったような変わったレストランで地元料理を頂き、帰る途中でのことだった。


村を走る省道を車で走っていると、今まさに起きたばかりだろうという生々しい交通事故現場に遭遇した。視界の先には潰れた三輪バイクとタクシー、人だかりが見えた。すぐに車を止めてもらい、バイクのドライバーのもとへ向かう。頭と肩から血を流し座っている。村人にすぐ救急車を呼ぶようにと叫んだ。通訳さんが僕の荷物の中の救急袋をつかんで持って来ると同時に、彼女の肩にいたチーズをホテルのオーナーに渡した。
出血箇所を押さえていて周りの男達や僕の手は塞がっており、通訳さんも手を血まみれにしながらも救急車が到着するまで補助をしてくれた。担架もない救急車が到着・・念のため首を保護し、男達総出で彼を車に運び入れる。


救急車は僕を載せて出発。「すいません、僕は降ります!」すぐ先の信号で飛び降りて、事故現場に戻った。
すると通訳さんから衝撃の一言、

「チーズが見つからない・・。」

(T_T)…

一連の騒動の中で僕らは見ている暇がなかった。
「誰が見ていたの?」
ホテルのオーナーだ・・。大勢の人だかりにビックリして肩から降りたらしい。その後は早くて追いつかなかったのだと。
「まだこの辺にいるかもしれない。皆で探そう!」
村の人達も、目の前のガソリンスタンドの従業員も皆で探してくれたが、運が悪い事にその周辺は深い茂みになっていた。
遥か彼方浙江省杭州から一緒に旅して来たのに・・。ここRuzhouでお別れなんてあんまりだよ。

それから一時間程探したが一向に出て来ない。木の上も探してみる。
ふと気づくと逃がした張本人のホテルのオヤジがいない。なんと車の中で寝ていた。カッとなった僕は車から引きずりだし、失くした時の事を聞いた。
「気づいたときはもういなかったからきっと探してもどうせみつからないと思って・・。」
はぁ。。
呆れて言葉が出ない。

もう日が落ち始め当たりがうす暗くなって来た。しかたなく僕らは街に戻る事にした。記者さん達が今夜中に写真付きで村中に張り紙をしてくれるという。
帰りの車の中で通訳さんや記者さんは
「私たちもチーズが大好きでした。本当にごめんなさい。」
と気遣ってくれたが、彼らのせいではない。一緒に探してくれて逆にとても申し訳なかった。
一方ホテルのオヤジはというと、沈み込む僕らを背中に音楽を流し陽気に歌を歌っていた。悪夢の中に出てきそうだ。ホテル名を出したいところだけど、やめておこう。



その後定期的に連絡を取り合うも朗報はない。
4ヶ月の子供とはいえ、きっとチーズのことだから大丈夫だと思うけど・・。
きっと今頃良い友達に巡り会えて、果物がたくさんある森の中で幸せに暮らしているのだろうな。

アンパンマン号の荷台に荷物を積んで出発した朝、後ろにチーズがいないことに突然悲しくなって涙が出た。

今までありがとうチーズ。
これからそれぞれ違う旅が始まるけど、お互い元気でいようね!






Ruzhou  to  洛陽
走行距離: 96.64km
平均速度: 17.5km/h
最高速度: 52.1km/h


facebook:(keiichirokawahara,河原啓一郎)







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