2012年10月15日月曜日

ーとにかく、会う。ー



5月に180日間の2つ目のビザを持って中国に入り、早半年近く、ついに期限が近づいて来た。北京での更新も可能だったが取得に週末を入れて一週間かかるので、昆明へ戻る飛行機の時間に間に合わない。昆明の入国管理局で行う事にした。

僕の活動に朗報が一つ。日本のある大手企業が支援物資や活動資金、交通機関に至るまでサポートしてくれることになった。ビザの延長も共同公益を行うということで紹介状を書いて頂き、他に必要な書類も全て揃えて頂いた。

広州から来た仲良しの記者

約一ヶ月過ごした北京。下手に出歩いて危険な目に遭うのを避けるため、観光名所と呼ばれるような場所はほとんど行かず、協力者に提供していただいたアパートと、取材や後方支援活動の為にカフェや企業を往復する毎日だった。ただ、北京は他の中国の街とは何か違う。人々は比較的広い視野と心を持ち、秩序とマナーがあり、教養が高い。中国11ヶ月目にして初めて首都北京を訪れての正直な感想がそれだった。


そして、思ったより空気が澄み空が青かった。秋を迎え気温も過ごしやすくなったせいだろうか、一年で一番いい時に北京に来た。この短い秋が一瞬で通りすぎると11月には瞬く間に氷の街になる。僕が北京を離れた後、遭難して死者(日本人観光客・・)が出る程の大雪が降るなんて誰も予想していなかった。



北京前半は大使館が集まり多くの外国人をよく見かける朝陽という街に建つ友達のマンションに住んでいたが、そこの自治区の老人が日本人を懸念し警察まで呼ばれ、追い出された。そこを拠点に大学生や記者達と話し合いをしたり料理を作って誕生日会をしたりととても居心地が良かったが残念・・。


しかし友達に相談したところすぐに7件の住む場所を提供してくれる方が見つかった。
新居はマイクロソフトやweiboなどの企業が集まりIT街と言われるオフィス街に位置し、東京の丸の内のような場所。ビジネスマンの為にお昼に歩道に現れるおばちゃんたちの手作りお弁当が安くて美味しくて、三日に2度は食べていた。

TV

北京で何をしていたのか。
どうして日本人にとって超逆境の社会でコトがスムーズに進んでいけるのか。
一言で言うならば。

「人に会う。」こと

学生から有名人、有力者まで、より多くの人に会って会って、とにかく会う。忙しさの中に自分を追い込み分刻みのスケジュールで満杯にしていった。
より多くのパイプと人望を持つ事で、自分一人では成し遂げられない事も可能になる。そう信じている。

ファンの方々にも出来るだけ会った。
その中にとても興味深い出会いが一つあったので紹介したい。



写真の中でメッセージが書かれた大きな紙を掲げているの女性がいる。
日本の新聞記事だ。
内容は、



破壊、盗難、暴行、無秩序化した中国の街を、彼女は泣きながらこのメッセージを掲げて暴徒達に訴えたのだという。そしてこの写真を撮られた直後、数人の男達が彼女から紙を奪い、暴言を吐き、粉々に引き裂いた。

彼女は言った。
「私にも日本人の友達はたくさんいる。何もしていないのに、傷つけられている。ニュースでkeiのことを知って私はいてもたってもいられなくて、行動した。」

彼女からWeiboに何通もメールが来ていたが他にまみれて気づかず、10通目にして初めてメールに気づいた。そして北京にいることがわかり、待ち合わせて会う事に。そのとき広州から来た番組の丸一週間の密着取材が付いて来ており、感動の出会いの瞬間もしっかりビデオカメラに収められた。

彼女はこのニュースがきっかけで有名になったが中国では良くは思わない人もいる。身分を隠しているが時々罵声を浴びる事もあったという。僕に会う前日本の雑誌の取材を受けていた。とてもスタッフが優しく楽しかったと喜んでいた。だが先日来たフジテレビの取材スタッフの失礼な態度にもう二度とフジテレビには会いたくないと怒っていた。話を聞けば、挨拶もなく見下した態度のその男性は僕が聞いても腹が立った。

彼女のように平和を訴える市民は大勢いる。しかし非暴力で訴えるため他の間違った愛国者に暴力で負けてしまうのだ。同じ国の人同士傷つけ合うなんて悲しい、もうどれだけアホらしく恥ずかしい事か、いい加減気づいて目を覚まさないと。



【新聞news】:
Global Times:    volunteer without borders


facebook: (keiichiro kawahara,

Documentary TV show




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