「旅」とは、

「旅」とは、「5%の努力と、5%のお金と、90%の人々の優しさ」


ボランティアをしながら世界に笑顔を届ける - 【看護師Keiの自転車世界一周の旅】×【助け合い】 ★現在挑戦中です!


(中国武漢で自転車が盗難に遭いましたが市民数万人の皆様のお陰で取り返し、無事旅を続けています!!)

2012年3月1日木曜日

-事件、その後-



自転車は見つかった。
では次の街へ出発します。ありがとう。
・・そんな失礼なこと絶対に出来ない。したくない。

僕にはまだこの街、武漢でやらなきゃいけないことがある。
それは自転車を捜索しているときから考えていた。
どうやってこの感謝気持ちを返そうかと。
 
これまで何万人という人々が立ち上がってくれ、そのほとんどがお互いに会ったこともなく顔すら知らない人たち。
彼らに直接会ってお礼を言いたい。
残念ながら全員にはできない、しかし一日一人ずつでもいいから、一人でも多くの人に会って感謝の気持ちを伝えたい。事件解決後、毎日そんな顔も知らなかった影のサポーターの方々との対面を果たしている。

例えばあるJennyという女性。彼女は以前武漢の中を自転車で走っている僕の姿や、カフェにいるところを見ていたという。しかし一度も話したことはなかった。
そこで起こった盗難事件のことを知り、友達を通じてインターネットや学生ラジオで呼びかけを行ってくれた。次第にSMSで連絡が取れるようになり、情報の交換が始まった。

また、感動して心がジーンと熱くなってしまった話がある。
武漢の老人福祉施設でのボランティアで知り合った友達Elaineとその多くの友達がRENRENという中国盤facebookとして有名なウェブサイトに呼びかけをしてくれていた。
 それと同時期に、杭州や南昌などの大都市だけではなく、QuzhouYiyangなどの小さな都市の仲間までもが情報を聞きつけ、協力しようと立ち上がってくれていた。
先日、Elaineの友達が「この人知ってる?」と見せてくれた写真を見てショックを受けた。協力者の写真は、紛れもなく過去に他の都市で会って来た友達の写真だった。

これまでの3ヶ月間、何十都市も自転車で周り作ってきた友達の輪が僕の知らないところで繋がっていたのだ。

「インターネット(SNW)の世界は不可思議なところが多いね。」
「世間は本当に狭いもんだね。」
と友達は笑うも、中国の友達の「絆」の強さに感激してしまった。

繰り返しになるが、事件を解決に導いたのは市民の力。
警察は最後の最後に事が大きくなったあとに面子を守ろうと出てきただけである。一部の誤報道では始めから警察が捜査に全力を尽くし、物品提供の話まで出てきたが、そんな話一度も聞いていない。知り合いの知り合いが元政界の有力者で政府に嘆願したことと、メディアが動いたため面子を守るべく警察が重い腰を上げて動いた。そして市民の力で見つけた自転車も、あたかも手柄を横取りしたように終わった。警察から特別扱いを受けたわけではないし、始めから期待もしていなかった。なぜならこの国では市民の遺失物は軽視されてしまうことを誰もが知っていたから。

通訳として同行してくれた人は高校時代5回に渡り自転車を盗まれた。しかし一度も警察に届け出をしたことは無い。理由はだいたい想像できるだろう。だから自分達の力で探そうと立ち上がった。

(以下serchina news 2012/2/23より引用)
【武漢だけでなく、中国の多くの都市で自転車の窃盗事件は珍しいことではない。自転車の頻繁(ひんぱん)な紛失はその都市の道徳喪失や治安の悪さではなく、都市の治安管理の手落ちを反映している。根本的にみると、この難題がなかなか解決されないのは、一部の行政権力が一般人の権益をまったく気にかけていないことと関係している恐れがある。
 中国の都市で自転車に乗るのは誰か?それは往々にしてその都市に住む収入の低い労働者で、発言権も権利を守る力も弱い。一方、窃盗するほうにしてみれば、簡単でリスクも低い。捕まったとしても重い罪にはならない。そのため警察、自転車メーカー、交通管理部門は自転車の防犯装置や防犯対策をさほど重視していない。自転車の持ち主までが窃盗に慣れてしまっている。結局は誰もが「警察側の迅速な対応」を受けられるわけではない。
実際、その都市と国のイメージは、高層ビルや経済的な奇跡、エリートの生活スタイルなどではなく、もっとも弱くもっとも助けが必要な一般の労働者をいかに待遇しているかによって決まる。中央の指導者は繰り返し、「体面のある労働実現」「より尊厳のある生き方」と強調している。小さな自転車の運命は労働者の体面、安全性をあらわしているといえる。
 その意味では、中国の自転車を持つ一人一人のストーリーは、社会のマナー水準をはかるひとつの尺度となるだろう。】


事件後、一部の市民の怒りが警察へと向かうのは当然だ。たかが自転車や財布と言って市民の権益を無視してきた結果積み重なっていた不満は、面子を守ろうとだけして動いた不公平な捜査を機に表面化してきた。
しかし僕にも少なからず責任がある。事をここまで大きくしてしまい、議論を呼ばせてしまった。そして結果として不本意に起こったことだが、一部の人々に不公平感を与えてしまった。重く受け止め反省しなければならない。



事件解決その後は・・。

以前のボランティアは継続し、それとは別に、大きな日本語学校でのボランティア先生や、小学生以下の子供との文化交流会、大学での講演会などの機会をいただき、出来るだけ時間の許す限り協力させていただいている。
その合間合間に「見えないサポーター」達との直接の出会いも大切にして。

これまでも、そしてこれからも支えてくれる周囲の仲間達。
顔が知れてしまった今、バスには乗れない。外を歩くときは必ず優しい仲間数人が僕を隠すように歩いてくれる。さもないと握手や写真を求められ・・。
何か大きな取材が来たときなどは必ず何人かと話し合いの場を設け、慎重に検討した上で判断している。しかしこの時期はどの取材も避けるべきだと僕らは判断した。
昨日、国営放送CCTVを断った。
時に彼らは彼らの都合の良いように書き、真実を曲げ、盛り上げたいがために報道することがある。
知っての通り、別の歴史的な問題で再び紙面が炎上している今、何を言おうが焼け石に水。

そして正直・・もう終わりにして、再び元の平和な旅生活に戻りたい・・。
時々心のどこかでそうつぶやく自分がいる。

しかし先日あるメディアの友達からメッセージが来た。
You want to be nobody as you used to be,but you are no longer a nobody.So many friends online care about you.

自転車は一人乗りだけど。もともと一人旅とは思っていなかった。
新しい街に乗り込むときはいつも一人だが、必ずどこの町どこの国にも温かく旅人を迎えてくれる人たちが居て。
いつもいつも未だ見ぬ彼らに会うのが楽しみ。

「人」なしで僕は旅を語れない。
まだまだこの街は離れられない。
大幅スローダウンしてしまったけど、いいじゃん、それも旅の一部だよね。


◆お知らせ◆

3月中旬に一度一時帰国します!(><)

目的は、
・中国VISAがもう延長できないので一度本国に帰って再取得
・母親、妹、Dariaの誕生日
・自転車が盗まれたときに戻ってこなかった重要なパーツの購入
・保険の請求・更新
・その他・・・

自転車と荷物は中国に置いたまま日本に帰り、翌月には戻ってまた同じ場所から再スタートします。

2012年2月28日火曜日

-愛心接力- 中文



(谢谢kiko同学帮我翻译成中文)


(日本語訳に協力していただいた親友のKikoさん、ありがとうございました。facebookと同じく、googleから提供されているこのブログも中国国内では閲覧できないことになっているのが残念ですが、近々中国版ページも開設する予定です。以下の内容は前記事「心のリレー」と同じです。)

  大家给我的所有留言,我会全部一一回复。每一条我都会很认真的读。尽量以最快的速度回复大家。对大家的关心,真诚的表达我最高的谢意!!

   HBTV的最后报道了

       参与这次 “爱心接力”的已经有5331032人。(6min50sec


  老实说,自己有时候也会觉得害怕……

还车仪式和接受记者采访前,去洗手间的时候,看着镜子里的自己,


“面前这个人是谁?是我吗?给大家添这么多麻烦,给人们带来这么多烦恼的人,你是谁??”一瞬间,我回不过神。。。


用冷水洗了把脸,对自己说“喂,清醒点~!”


  不知道那个时候怎么了,其实只是在镜子站了一瞬间,却觉得那一瞬间,好长好长。一定是累了。。。
  
一定不能再这个时候放弃,就算是为了一直支持我的人,我也要找到面包超人号,并且告诉大家,我找到了,感谢他们的支持~~!!

  觉得累的人一定只我一个,陪伴我的朋友们一定更累。。。

   

这次的事情,很多人都问“为什么警察会特别的对待?会有VIP的待遇?”其实,刚开始警察好像也没有怎么上心。想找到很难,只有我们自己努力的去找。好朋友们一开始就用了各种方法去找,警察开始正式行动,是在那之后的之后。
  
“绝对不放弃”的信念一直在我心里。还有周围一直鼓励我不能放弃的朋友的支持。


   老实说,自己这样坚持到底对不对,自己每天都在纠结。

   帮我寻找的朋友里面,也有很多自己被偷过,没有找到的人们。

   就算是那样,他们也跟我说“我也被偷过车,你的心情非常能够理解,虽然找到的可能性不大,但是如果能找回来就好了。”

   听了这些话,觉得自己不努力的寻找是不行的,但是非常纠结的心情也是日日在增厚,加深。。。

   并且那天通过论坛提供线索的青年的心里一定也很不是滋味。而且,听到他说,最爱的自行车也不见了,还没有找到的那一瞬间,我觉得真的就像什么瓦解了我支持的信念,瞬间眼泪就出来了。
  
   最最重要的东西,被人恶意的抢走了,这种心情,我想大家都是一样的。

   就算不是为了自己,为了一起帮我找的人,也一定要找到它。
  
 一定要找到的原因,从“我不想放弃”变成了我想对所有支持我的人说,“幸亏有了大家,我才找到”这句话。所以,我一定要找到超人号!!

   面包超人号找到以后,我的确是非常的高兴,但是心情却是万分的复杂。
   
   我会用自己有限的力量全力以赴的表达对大家的感谢。

   新的义工邀请,从各地的义工组织发来。当然我会尽力的去做,去完成。

   但是我的志愿者概念,不是一定要加入哪一个义工组织,会在日常生活中去帮助他人,为别人着想。这个人为什么难受,需要什么帮助,我可不可以帮到他。。。我会坚持这样的信念一路走下去。
   我想,人与人之间这样不计回报的相互帮助,一直轮回着,传承者,总有一天爱心会这样转回来的。

就像这次,当我的最重要的东西不见的时候,最一筹莫展的时候,真正伸出援手帮我的就是那些单纯为他人着想,为他人帮忙的,连面都没见过的人们。。。


这段时间,让我了解了,在中国,有很多很多愿意帮助别人,古道热肠的志愿者的存在。而且,我坚信今后,无论有任何灾害任何困难,都会互相帮助,一起面对下解决问题。
在中国旅行真的让我觉得很开心,幸福。在武汉丢自行车也是不幸中的万幸。感受到了人们内心深处的温暖。
我想大声的,清楚的说,
这次帮我解决问题的,不是我自己,也不是警察,而是,热心的武汉人民~~!!


谢谢你们,中国的朋友们~~!!
我更加喜欢和崇敬中国了,
以后有什么需要帮助的话,该轮到我尽全力帮助大家了!!





-有大家的关心与帮助所发生的奇迹~!!-



(报纸,电视台都有报道,但是有些地方跟事实有出入,下面所写的都是事实,绝无虚假。)

谢谢kiko同学帮我翻译成中文)
(日本語訳に協力していただいた親友のKikoさん、ありがとうございました。facebookと同じく、googleから提供されているこのブログも中国国内では閲覧できないことになっているのが残念ですが、近々中国版ページも開設する予定です。以下の内容は前記事「人々の優しさが起こした奇跡」と同じです。)

  我是在做梦吗?
  如果是个噩梦的话,我希望可以快点醒来。
  应该在,必须在那里的我的面包超人号,没有了。。。那一瞬间我以为我看错了。

这个像做梦一样的事情,就是这样开始的~~

  签证延期的手续比想象中麻烦,一直都不停的往返在入国管理局和警察局之间。而且,好像很需要时间。
  为了有效的利用等签证的时间空白,决定去有需要的地方,义务做日语老师。将这个决定发布出去以后,有很多大学和日语培训学校都向我发出了邀请。但是他们要求并希望我可以在武汉待的时间长一点。可是,我必须赶在炎热的夏天来临之前走过丝绸之路。我担心被烤焦在火焰山上。所以,时间上并不允许我在武汉停留太长的时间。

  最后,还是决定就在咖啡厅,麦当劳等地方,教有日语学习需要的人,我也可以多认识些朋友。我做了些关于自己的海报,贴在各大高校和我平时比较喜欢去的咖啡厅。之后,有很多人联系我,学生从大学生到63岁的老爷爷各种年龄段的都有。我给他们上了课,并且成为了朋友。从在柬埔寨做志愿者时,在NGO学校做过日语老师以后,我就没再教过日语,每次上课的时候,开始是学生很紧张,后来我也总是变的很紧张。@#%……

  那一天,和两个学生的邀请下,6点半去了武汉市非常漂亮,非常时尚的商业步行街----汉街。
  由于是步行街,入口处的保安把我们带到了汉街的自行车专用停车场。所谓的停车场,就是在小型的人行道上,圈起了一块地方。那里已经停了好多自行车,电动车。有个右胳膊上戴红袖章的大爷,是那里的管理员,站在那些车子的中间。
  我的车是没有站架的,不能跟那些车并列的排在一起。管理员让我把车放在15以外的墙根上。刚好,那个墙根的地面又是呈坡型的,管理员大爷不耐烦的把车搬起来,把车夹在了墙壁和垃圾桶之间了。我把两个锁都锁上后,准备给他5角钱停车费的时候,他表示取车的时候再给,并告诉我,他8点钟下班。
  那个叫汉街的地方,跟东京的表参道差不多的感觉。人流量很大,如果是平时的话,我已经不会把我的面包超人号停在那里,一定会用链子锁将它固定在一个地方。旅行到现在没有丢过东西,而且,那一天,管理员大爷在,我很安心的相信了他。

  在汉街逛到8点过一点回到停车场。大爷已经不在那里了,而且,我的车也不在那里了。人去车空。。。我半天回不了神。。。

  我们立即去找了保安,并报了警。
  到了派出所,录口供的时候,叫来了看车的大爷及其家人。我记得他的样子,衣服,的确是他。可是,他好像不记得我了,却坚持说“不记得了”,“没注意”,“不知道那样的车”。什么都不记得了。可能他真的是8点整离开的,可是问他6点半到8点之间车在不在,他也是不知道。能停30辆车的地方,只停了56辆车,说不记得了是不是有些失职呢。

  我们坚持说他知道,他坚持他不知道,发生了口角,他想保护自己,我们想找到车。
  我没有想过要他赔或者怎样,我只是希望他不要撒谎。。。争论到最后没有结果,只有拜托警察帮忙找,从派出所出来了。

  打的把两个学生送到家之后,已经是凌晨12点多了。一直留宿我的朋友家,离那里很远很远,已经没有车了。拖着沉重的脚步,漫无目的的走了一会,在一个公交站的长椅上坐下了。“今晚睡在哪里?要在这长椅上睡吗?面包超人号现在在哪里?我的旅行计划,我的梦想该怎么办?我以后该怎么办?”一个又一个的问题,所有的事情都在脑海中盘旋飞舞。。。很累很累。。。

  望着手机通讯录里的联系人,一个个翻下去,一个让我眼前一亮的名字-----Richead.是在一所大学里教英语的美国人,曾经在美国美术馆工作过。也是在别的外国朋友家里参加聚会时认识的,他的确是住在一带的。电话他说明情况后,尽管是深夜,他还是很热情的邀请我去了他家。在Richead家的沙发上,度过了最寒冷的一夜。

  

面包超人号不见的那天,好像是很久很久以前的事情了。之后,昏天暗地的忙也是从那天开始的。
  从超人号不见的那一刻开始,我就决定了-------一定要把它找回来,一定不会放弃!!!!而且不断的问自己,如果旅行就这样结束,自己真的可以接受吗?我还有自己的梦想,人生的希望,所以,我一定一定要用正当的手段,把车找回来。

  早上,从Richead家离开,我就联系了教日语,一起去老人院做义工的,在大街上认识的朋友们。总之,对在武汉所有认识的人求助,大家都明确表示会尽全力帮我寻找自行车。并且朋友们还拜托了朋友的朋友们帮我找超人号。而且,在杭州,南昌等,各地认识的朋友们都通过网络来帮我询问情况。感动,一波一波接蹱而至!!

  消息不断的扩散,有能力有关系的人也开始帮助我,媒体也开始参与进来。武汉乃至中国各地的报纸都开始采访我,大规模的找车宣传就这样开始了。网络的回复超过5万件,通过网络开始有线索,政府也开始有反应,开始督促了。

  虽然晚了些,武昌区的警察也开始了全面的搜查。从早上到深夜的不停的工作,而且,非常热情的接待了我,这让我觉得非常的不好意思。一定很辛苦!非常非常的谢谢~~!!!
  
通过自行车爱好者论坛,有网友说看到辆车疑似我的。这个论坛上的帖子是朋友的朋友的朋友帮忙发的。具体的在哪里看到的,提供线索的网友是谁,我们什么都不知道。

  警察的力量是强大的,很快就找到了,提供线索的网友,并带着我们一起去见了他。
  见到那位网友,我下了一跳!因为,我。。。。认识他~
  元宵节那天,我接受电视台的采访,我见过他,他也骑着自行车。由于那天放烟花的声音太大,人太多,太吵,没能好好聊聊。但是,我记得他的样子。

  他非常的喜欢自行车。经常在熟识的修车店里玩,也偶尔忙些小忙。我的车就是在他经常去的修车店里看见的,有日本警察局登录的标志,有装行李的架子,一看就知道是长途旅行用的,他对超人号的印象很深。

  我问他,“你的帅帅的车呢?”他回答我说“一周前,被偷了。”瞬间,我不知道说什么好。很想哭!
  他自己最最爱的车也不见了,却来帮我提供线索。我想安慰他,却不知道从何做起,不知道说什么好。拍拍他的肩膀,只说了句,“谢谢你。”他说,会和我一样,不放弃的去寻找!

  之后,他带我们去了修车的店。在去的路上,警车里,他告诉我,他的梦想就是能有辆日本制的比较好的自行车。我和他约好,等我周游世界的计划完成以后,一定会送一辆日本制的自行车给他。

  到了修车店,已经关门了。线索又断了。已经是晚上10点多了,大家帮助我,陪伴我的人都累了,但是大家都没有放弃。

  找到了~!!!!!

  当我们再次回到派出所时,就得到了车已经找到的消息。经视直播的员工的朋友,也是自行车爱好者买了我的车,警察立刻将车运了回来。

  公安局的领导和参与办案的警察同志们一起把车还给了我,举行了小型的换车仪式并且之后接受了记者的采访。在采访中,我表达了对帮助过我找车,一直支持我中国各地朋友们,警察同志,记者的感谢。还车仪式上,有一段小小的对话。

  警察:如果真的找不到,我们准备并且已经为你准备了新的自行车。

我:谢谢!我的车已经找回来了,谢谢你们的好意!
  
警察:那我们就把车退了。

我:知道您很忙,要是有时间的话,您跟我一起去下一站西安吧
  
警察:这个主意不错,等有时间了,一定去。

我:嗯嗯,好的,我期待跟您的一起出行。  
  小小的还车仪式在愉快的气氛和笑声中结束了。
  仪式的最后,警察告诉我,已经会处罚小偷的,让我放心。我觉得偷车的人应该跟我一样渡过了最难熬,最郁闷的三天。我请求警察轻判他,对方答应帮我跟法官求情。
  
长长的几天终于过完了。。。我,不是,是我们大家战胜了不可能。

   面包超人号,刚刚不见的时候,的确很难受。但是很多热情的人,特别是温暖的武汉人对我的支持,鼓励,帮助,才完成了这个“不可能”。

   走在大街上,都会有人问,“车找到了吗?”“不要放弃哦,一定要加油。”很温馨,很温暖~~!!!
   也有很多人说,要送我新的自行车,为我提供住所,请我吃饭,给我钱。光是这份心意已经让我足够多足够多的感动。不能再给这个国家的人添任何麻烦。也没有任何理由接受大家的东西。

  无论有没有这次丢车风波,我都一直感谢一路支持我的人们。觉得非常的不好意思,给大家添了麻烦。无法用语言来表达我的心情,我的谢意~~!!

  在网上,微博,还有论坛里,大家对我和失而复得的超人号事件的看法,有好有坏,每个人有自己的想法,无力改变。
  每天有很多很多人给我发短信,打电话,鼓励我。还有那3天里一直陪着我的朋友们。这些都是支持我  绝对不放弃  的信念。
   很多朋友在恭喜我找到车的同时,也跟我说“你以前做志愿者对我们好,我们也对你好了一次。”一句话,倍感温暖。在我以前的博客里我也写过,能拥有在自己最困难的时候,能够帮助自己,一直陪伴自己的朋友,是非常非常幸福的。
   真的真的非常谢谢~~!!!!!!!!
   
  最后,想对自己和自己的超人号,给大家添的麻烦,让大家为我的担心,真心的道歉。
   买我的自行车,不知名的朋友,最后一天为我尽全力,辛苦找车的武汉警方,通过网络支持我,帮助我,没有见过面的几万朋友们,用媒体的影响力尽力帮助我的媒体人,还有远在日本甚至到各国的支持我的人们,还有三天一直陪着我,帮我翻译的好朋友们,对你们表示最高的谢意~~!!!
   
我一定会骑着大家合力帮我找回的面包超人号,带着大家的支持,完成我的梦想,行走全世界。
   衷心的希望,中日关系能够更加友好~~~~~~~~~~~~~!!!