「旅」とは、

「旅」とは、「5%の努力と、5%のお金と、90%の人々の優しさ」


ボランティアをしながら世界に笑顔を届ける - 【看護師Keiの自転車世界一周の旅】×【助け合い】 ★現在挑戦中です!


(中国武漢で自転車が盗難に遭いましたが市民数万人の皆様のお陰で取り返し、無事旅を続けています!!)

2012年7月26日木曜日

ー外国で一人暮らしー




中国の蚊は強い・・。
服の上からも刺してくるし、手のひらの真ん中までさされた。
この前は夜寝ている間にまぶたの目尻側を刺され、起きたらヒドイ顔になっていた。不細工は元々だけど。ただですら細い目なのに、もっと細いメダカの目に・・。
これで目にゴミが入らないでしょう。

河南省に入ると街の至る所で歌声が聞こえてくる。
二胡の生演奏と共にマイクに向かうのは地元の女性達。
コレは“河南オペラ”と呼ばれる伝統的な習慣。
毎日毎晩、公園や交差点に面した広場で行われる。
参加は自由、見るのも自由。大通りに面した場所で行われるのでどこからともなく毎晩とても大勢のお年寄りがバイクや自転車に乗ってこのオペラを聴きにくる。地元の方の話では、昔テレビもラジオも無かった頃、特に農村の人達が一つの娯楽として楽しんでいたのだそう。今ですらテレビやパソコン、一人で遊べるスマートフォンまでもが登場し、家の中で音や映像を楽しむことができる時代になったが、やはりこうして一つの場所に集まり、またそこで出来た新しい仲間の元気な顔を見るのは昔と変わらぬ楽しみなのかも知れない。

河南省で一番大きい都市、南陽市に着いた日のちょうど夕方に激しい大雨が降って来た。自転車で移動していた時間を避けて降ってくれ、運が良かったなと思ったのもつかぬ間、3時間もしない間に膝上まで水位が上昇して来た。昨日全力で噛み付こうと追いかけて来た犬と同じ種類の犬が道路を“犬かき”して泳いでいる。タクシーはそれでもスピードを落とさないからエンジンが水を被り至る所で故障している。
幸い水はすぐに引いたが、この水はけの悪さには驚いた。数年前の梅雨にはあっという間に1mの水位を超えたそうだ。


この街に着いたとたんに梅雨入り。
「世界の田舎に泊まろう」今回シェルターを提供してくれたのは師範学院の英語の先生。
旦那さんのお母さんが所持しているマンションが長い間誰も使用していないというのでお借りすることにした。
ここから2週間の中国一人暮らしが始まる。
LDKの広さに加え必要な家具家電も全部そろっており、近くのスーパーで食材を買い、ご飯を炊き、朝ご飯を作る。近所の人に挨拶をし、守衛さんと仲良くなり一緒にアイスを食べて日陰で涼む。
大きなスイカ(100円!)を買ってきて冷蔵庫で冷やし、毎日一人で半分は食べちゃう。
気づけば地元民になりかけているじゃなか。


雨で動けなくなったけれど、心地よい場所を提供してくださった先生夫婦、どうもありがとうございました。
南陽料理レストラン。
この一番手前にある白くとろみのあるスープの麺がとても美味しかった。


南陽には大きな大学が二つあり、以前からここの学生から連絡をもらっていたのだが僕が到着したタイミングが遅く、彼らはもう夏休みに入って故郷に帰っていた。しかし講習などで残っている学生や卒業生、理工大学と師範大学(教育)両先生方に何度か食事などに招待してもらった。
師範大学では日本語を第二外国語として学んでいる学生を対象に講演会も。

日本人の先生が2人いて、一緒に蘭州拉麺を食べに行って懐かしい日本の話をしたり先生の学生と交流したり。

日本語学科長と飲んでいるのは白酒アルコール50度。
中国では招待した側の人達は一人ずつ招待された側の人達にお酒をついで回る。丸テーブルを回る。それも三回つぐので、向こうが3人だと9杯飲まなければならない。ビールならまだしも、なぜ今日は白酒なんだ・・。
というのもこの大酒飲みのボス(学科長)がいるからだった。
彼は昼間からお酒臭く、授業ではタバコを吸い、どうやら金持ちらしく小さな額の紙幣は教室にばらまき生徒に拾わせる。聞いただけで恐ろしくヒドくて、生徒からも尊敬の眼差しどころかチラ見もないのだが、要領がよく厳しいということで他の職員からは評判がいい・・。

飲めば相手もハッピーになる。ならば飲もうじゃない。途中お湯を大量に飲みながらお腹の中で薄めて上手に付き合ってた。隣に座っていたのは日本人の小川先生。彼女にも容赦なく白酒つがれていった。僕は助けるつもりで先生の分も飲んだのだけれど・・。
先生はつぶれてしまった。それからが大変。
彼女の住んでるマンションは4階。
みんなあれだけ飲んでよく車を運・・・で彼女をおぶって4階まで上がったものだ。
翌朝、昨夜の記憶は小川先生のマンションに着いてからAo先生と一緒に看病していたところからしか覚えていない。恐ろしい!事故にも遭わず生きていて良かった。
翌朝僕も二日酔いで動けず・・もう絶対白酒は飲みたくない。泣。




2012年7月25日水曜日

ー適当な天気予報ー





重慶、武漢、吐魯蕃、この3都市が中国三大溶ける暑さの都市と言われている。吐魯蕃の低地では70度にもなり、三蔵法師が仲間と旅した火焔山があることでも有名。七月も後半になり、この時期に入る前にその武漢からはずっと北に移動する事ができた。

それでも日中の暑さは半端無くて、途中木陰で休憩したり頭に何か被っていないと簡単に熱射病になりそうだ。ただ、暑い分ビールが美味しい季節になった!午後2時くらいからすでに頭の中は冷たいビールのことでいっぱい。
道中泊めてくれたり上記写真のような夕食をごちそうしてくれる人達と、またはひとりでビール一杯目を飲んだときの幸福感と言ったら表現のしようがない。


回族のみなさん。
少数民族のお店はいつもハズレが無く美味しくて、人も優しい。
自慢の刀削面を作ってくれて、お代はただにしてくれた・・。


恩返しセカトマクッキング。
下手だけど料理が好きなりに何か作りました。



柔道キッズ。
暑さに負けずに頑張ってねー!

ちなみに中国では気温40度を超えると仕事をしてはいけないという法律がある。国民の健康に配慮したとても良い考えだと思う。
と思いきや、発表された天気予報はどこも39.8度とか39.9度と表示されているじゃないか!今いる場所ですらは連日45度は越えているのに・・。
そう、仕事休んだら経済に悪影響を与えるからと、真実の発表はしない。
発展さえすれば、炎天下の中働く現場の人々の健康などどうでもいいという事か。天気予報もまるで適当で、まずこちらの人もそれほど信じてはいない。
とりあえず「雨」と言っておけば、晴れと言ったのに雨が降って批判がくるよりも、晴れて「降らなくて良かったね。」と思わせれば良しと言う事か。

Youtube動画gopro】次回更新

夏休みに武漢にある理工大学から自転車で河南省の実家に帰る途中だという学生3人に会った。路肩に自転車を止めパンクを修理していた。その頃雨がポツポツ降り出してきて、僕も防水でない寝袋と沖縄三線にビニールをかぶせなければならなかった。学生さん達も手伝ってくれ、同じ方向だという事で一緒に走る事になった。次第に雨が強くなる。涼しくなり、始めは皆で雨走行を楽しんでいたが、もはや楽しめないほどの大雨に・・。
4人で旅館を取り、今夜は盛大に出会いを祝った。



新しい街に着くとその街独特の屋台料理や麺が食べられる。
この日は、中国版ファストフード。パイ生地に野菜や海藻、揚げ豆腐などを挟んで巻いたもの。缶ビールを飲みながら路肩でのんびり座って食べる。一つ約30円。ビール一缶約25円。


反対側の車線に目を向けると何やら頭に白い布を巻いた人達の行列が見える。
爆竹を投げ、立ち座りを繰り返しながら歩く人々、少し近くに寄ってみたらすぐにそれが何かわかった。お葬式だ。大きな声を出して泣きながら歩く女性達。火のついた封筒を燃やしながら道路に投げる男性。


きっと一つ一つに意味があるのだろうが、よくわからない。
大きな交差点に差し掛かった時、ひときわ長く連なった爆竹が登場した。それを道路の片側車線を塞ぐようにして並べ、一気に爆破させた。


これにはビックリ。すごい音に耳がその後もキーンとして聞こえない。
いやビックリしているのは僕だけで、周囲の人々は涼しそうにうちわを扇ぎながら見物していた。
この方式はさすがに大きな街では行われず、小さな田舎町でしか見られない光景だそうだ。










2012年7月23日月曜日

— キレた日 —




南陽市の地元新聞の取材協力をしていた時、ある男の子が近寄ってきてこう言った。
「僕も一緒に次の街まで走る。」
そう言ってくれた人は過去にたくさんいたけど、結局みんな口約束だけで実行した人は一握りだった。
中国の友達は真剣に約束を果たそうとする人達が多い。ただ残念ながらなぜ彼らの願いが叶わないかというと、最後の最後に親が出てきてストップを掛ける。以前にもブログに書いたが、子供の自由な思想を妨げる中国お教育ママの過大圧力というやつだ。
ある湖北省の女の子は18歳の誕生日プレゼントに、親に自転車は自分で買うから僕と一緒に走る許可が欲しいとお願いをしたらしい。結果はパパの壁は越えたがママの壁が厚かった。

漢川のホスト(泊まらせてくれた人)の家の高校生は次の街AnLuまで一緒に走ると言って来てくれた。いつもより遅めに走ったのだが彼女は時速8km前後のみごとな走りで、気づくと遥か後ろにいることが何度もあった。僕が後ろから着いて行く形でその後も走ったのだが、10km地点でお尻がギブアップ
お昼を一緒に食べてハグして引き返した。
家に帰る道がわからなくなりパトカーに乗せてもらったと聞いたのはその日の夜だった・・。警察が助けたこともまたビックリだ・・。ついでに警官は僕の話をしたら夕食をおごってくれたらしい。うん、何か裏あるよコレ。。



南陽を離れる前日、最初の彼に連絡した。
「明日離れるよ。ルートも決まった。」
出発の時間を伝え、翌朝また会う約束をして別れた。
朝、荷物をまとめ、歯を磨いているとまず泊まらせてくれた大学の英語の先生が来た。それから10分、彼から電話が来た。
「今どこ?このマンション?下にいるよ。」
4階の窓から下を見下ろすと彼が立っていた。

うん?・・ちょっと待て何か大きく彼のTシャツに書いてあるぞ。
「○○諸島は中国固有の領土!」
さらに背中には、
「我が国の○島返せ!」
とマジックで書かれていた。

あちゃ〜・・。
まさかのバカ野郎だった。

もう電話している段階から僕はキレていた。
「おい。服に何書いてある?」
英語がダメな彼はOKOKとだけいいながら上がって来た。

言い訳無用。部屋に入ってくるなり、僕が言う。
「君とは一緒に走れない。」

彼はこう言う。
「この写真を撮って日本人に見せてわからせて。まず両親に見せて、中国のだって教えてあげて。」・・・は?

あのね、そんな島とか政治とか戦争の話をする為にこの旅をしているんじゃないんだよ。諸島?俺が知るかそんなの。くだらない争いのクソ話する為に中国にきたんじゃないよ?そのTシャツ着て走りたいなら、自分一人でどうぞ。」「君と一緒には走れない。」

その後も僕の説教は15分ほど続いた。良くない言葉を通訳してくれたAO先生、ごめんなさい。同じ中国人でも平和を愛するAO先生は応戦してくれた。

いるんだこんなバカ。新聞やテレビ、ネットではよく目にする書き込みだけど、大声で広く騒げばなんとかなると思っている人達がほとんどで、実際のとこ皆気が小さくて行動には移せない。オンラインのチャットや掲示板などバーチャルの世界では別人のように汚い言葉を並べる一方、リアリティーの世界では無口で人とのコミュニケーションも取れない。別人というか、別名を使っているのだけれど。本人達がよくわかっている問題。
でも実際にこんなわかりやすい反日に会ったのは始めてだった。

話はよく聞いていた。
武漢でお化け屋敷を経営している知り合いの日本の男性は店に向かって汁の入ったラーメンのどんぶりを投げられた。

そっちの色が強い南昌という街にある有名な大きなカフェにはこう書かれている。
「ペットと日本人はお断り。」

他にも非人道的なことはたくさん聞いているけど、そんなクソ書きたくもない。


一度日本に来てごらん。こんなヒドイ事する人、いないから。
島が盗まれたのね?ならもっと人々の生活にとって大切なもの、自転車や携帯、財布、パソコンが盗まれることは大した事ないの?いやそんなこと無いでしょ。友達は自転車8台盗まれて、その度に半泣きで町中を歩き回って探したそうだよ。一度も見つかっていない。盗まれた物が売られている各街の「闇市」の存在と場所も皆わかっていて、それを平気で窃盗犯と共に野放しにしているこの親方の体制、怒りの矛先はそっちでしょ。

今日もお昼食堂で食べていたらトラックドライバーがビール2瓶飲んでそのまま大きいの運転して行ったよ。そうして去年秋、7歳の女の子が撥ねられて、さらに撥ねられて。でも18人の通行人が1m隣を歩いていたにもかかわらず誰も助けず見殺しにした。
「領土」とやらを心配するならまず今の「領土」の中で起こってしまっている問題にその眼を向けるでしょ。

「私してないし。」じゃないよ。

もっと言いたい事は一万文字くらいあるけど、今日はここまでにしよう・・こんなこと書きたくない。

その男の子、学生に国際政治を教えている大学の教師だった。
一体何を教えているんだろう。戦争か。身震いがする。


他の大勢の心優しい中国人の面子を潰すようなことはやめて欲しい。



すいません、「キレた日」なのでまたこういう厳しいことも書かせて頂きました。
もう時期的にもいい頃かなと。



ところで渋谷のスクランブル交差点でこちらの国と同じ党が演説をしていたとき、通り過ぎた欧米人ビジネスチャリダー達が中指を立てながら消えて行った。欧米じゃよく見られる光景だ。

アンパンマン号に乗っている以上、ヒドいモノをみても中指ではなく「親指」を立てて笑顔で挨拶を心がけている。それ故、「keiさんは怒る時あるんですか?」とよく聞かれる。
はい、汚い事・間違っている事には怒ります。日本人とか中国人とかナショナリティー関係なく。

以前まだ江西省のどこかの街にいた時、大勢の人々と大きな交差点を渡っていた。すると隙間を見てタクシーが突っ込んで来た。もちろん信号無視だ。あろうことか、歩行者のおばさんを撥ねそうになり、おばさんは「キャッ!!」と言いながら身をかわしたがハンドバックに当たって吹っ飛んだ。タクシーはそのまま逃げる。少し遠くで見ていた僕はブチキレた。超全速力でペダルを漕ぎタクシーを追いかけて前付けして止め、ボンネットに向かって勢い良く「ボコッ!!」と殴った。
一瞬周りの時間が止まった。
キレて我を忘れていた僕も、戻った。
すると周囲はビックリな空気の中にいながらも拍手が聞こえてきた・・。



アンパンチだばかやろう。








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