2012年10月31日水曜日

中国ラオス国境情報・ビザ情報




ビザ延長の為五回も入国管理局に通うも拒否され、そうしているうちに期限が目前に。(前記事)
しかたなく昆明からラオス国境までバスで行き、歩きで一瞬だけラオスの旅に出て、すぐ中国に戻る事にした。
中国側国境モーハン

中国ラオス国境情報

雲南省昆明には北部・南部・東部・西武バスターミナルがあり、それぞれの方面にバスが出ている。ラオス中国国境に向かうバスは南部バスターミナルから。

・中国側国境の街モーハン行き 約15時間 20:30発 338元 
・ラオス第二の都市ルアンパバン行き 約24時間 18:30発 398
・ラオスの首都ビエンチャン行き 約30時間 18:00 ,19:30発 587
(別保険2元)
(ラオス他の都市へのバスはモーハン(中国側)のバスターミナルで購入可能)

いずれも寝台バス。横3列に二段ベッドが並び、大きな荷物はトランクへ、貴重品は枕元、靴は縫いで頭の下の収納スペースへ。枕、毛布付き。トイレ休憩は3時間毎くらいに有り。夜中2時から5時は運転手の睡眠タイムでバスは停車する。窓口での予約時席を指定できる。揺れるので上のベッドに寝る人はシートベルトで胴体を固定しないと落ちる。
ラオスのバス会社は乗り換えがあるが、中国のバス会社は乗り換えず直通で目的地までいける。どれがラオス・中国バスかの見分けがつかないので運転手に確認。窓口の人はあまり詳しくない。


密閉されたバスの中での食事は臭うので厳禁。おじさん達の足の臭いは最初に慣れてしまえば平気。空調が効いてくればなんとかなる・・。

昼前にバスはモーハンのバスターミナルに到着。ここからラオス各地へのバスチケットが買える。



中国乗り物の旅。目的地まで線路が引かれていれば電車の安い寝台(硬臥)をお勧めする。理由は長距離列車のイス席(硬座)とバスの旅は体に堪える。そして寝台列車のほうが荷物を安全に管理でき個人のスペースもあり、疲れたときは動き回れるし車内販売でいつでもお腹を満たせる。

これらのバスの他にいわゆる違法近長距離バスはたくさんあります。どこの国も同じですが、バスターミナル周辺にはこういった白タクのみならず白バスの呼び込みをしている人々がうようよいて、合法バスより安い事もあるが安全性と目的地の正確さは保証できない。その会社に乗る前によく問いつめて確かめることが賢明。

ラオス側国境モンラーへ続く


ラオスビザ情報

日本人は15日以内ならビザ無しで滞在可能。
それ以上滞在したい場合は国境のイミグレーションでアライバルビザを取れる。写真とお金だけ用意しておけば手続きは簡単。中国出国手続きを済ませ1km程歩くとラオスイミグレが見える。新しい建物が建設中。



中国ビザ情報

同じく日本人は15日以内ノービザ滞在可能。
観光Lビザや訪問Fビザを取得したい場合は各国の中国大使館で。国境ではできない。規定では中国行きの航空券の提示が必要とあるが、列車や船のチケットでも可能。大阪からの上海の船のチケットで観光ビザが取れた。

日本で取得する場合は旅行会社に取得代行を依頼しなければいけない。
ネット検索で「中国格安ビザ取得」などと検索すれば簡単にみつかり、郵送でビザ取得手続きは簡単にできる。週末含め取得に最低一週間はかかるので余裕を持った早めの手続きを。



ちなみに一度目のビザは大阪で3ヶ月観光L
武漢で一ヶ月延長、160元。ホテル宿泊の場合はレシートを、地元の人宅宿泊の場合は先に警察で「住宿登記」を発行してもらってから入国管理局にもっていかなければならない。「住宿登記」発行にはその家の住所の戸籍謄本のような登録証とその家の方の身分証明書が必要。
二度目のビザは東京で6ヶ月の訪問ビザF。観光Lで申請したはずなのになぜかFが送られて来た。Fは就業する事も可能。笑

ラオス側国境に一件だけあった食堂でお昼。ナンプラーが東南アジアに来た事を感じさせる。

キャンピングカーで旅する欧米親子。その隣にはバイクの旅人。国境は面白い出会いがいっぱい。

ただしバイク含め中国へ車で入国し旅をするのは非現実的。ありえないくらい多額なお金を政府に払い、24時間中国人ガイドと共にしなければならず、最初に提出した予定ルートからは外れることができず観光もできない。でても一ヶ月の許可のみでその期間に通り抜けなければならない。もちろんガイドの宿や食事も全てこちら負担。
まだまだ内側からも外側からも閉鎖された国だ。




一瞬だったけど南国ラオスの花々と優しい人々に少しでも触れ合えて心が和んだ。

でも雲南の被災地の人々は寒い冬を目の前に待てないよ。
戻らなきゃ。

ラオスにさよならを告げ、昆明に戻るバスを待つ。
夕方のバスまで時間があり、雲南の子供達の為にウルトラマンのフィギュアと偽リカちゃん計40体程買った。そしてネットカフェを見つけて入った。受付の女性に「ナニ人?」と聞かれ、「日本人」と答えると入店を拒否された。ここも洗脳されていた。

いいもん、いいもん、慣れてるから。

よーし。たしかにここは中国だ。

ミャンマービザ情報はこちら


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(google blogger のストレイジ容量がなくなり写真が掲載できなくなってしまいました。容量増す事を試みるもエラーが出てしまい、しばらく文字だけの更新となります(><;)日本のブログ更新は一ヶ月遅れです。)



2012年10月27日土曜日

—ビザ拒否—



11月第一週、2つ目のVISAも期限が到来、延長の為に昆明の入国管理局に5回も通うも拒否。毎回言われた書類を完璧にそろえ、企業さんや記者まで一緒に来てくれるも拒否。理由はなし。
「もう来るな。」
と暴言を吐き書類を投げた中年の職員がいました。ただしもう彼は僕とは話せません。

さらに上の人と話すも拒否。こちら側の中国人の友達も頭にきて理由をちゃんと説明するようにお願いすると、

「あんたも、中国人ならわかるでしょ。」

なんだそれ・・。

何の為の必要事項とその為の法があるのか全くわからない。

五年に一度の党のリーダー交代(18大)という敏感な時期も背景にあるでしょう。
身勝手な事をすればする程、汚点として将来に残るだけなのに。

しかたがないからバスでラオスに行き、国境の村でお昼ご飯だけ食べて中国に戻ってきました。必要とされている限り、中国に残りますよ。

日本人を追い出したいのはわかります。ではお聞きしますが、代わりにできますか。








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日本のブログ更新は一ヶ月遅れです。) 

2012年10月24日水曜日

良いところも悪いところも。


(google blogger のストレイジ容量がなくなり写真が掲載できなくなってしまいました。容量増す事を試みるもエラーが出てしまい、しばらく文字だけの更新となります(><;)
日本のブログ更新は一ヶ月遅れです。) 


 北京から雲南省に戻る日が来た。10/24。航空券を3度も変更した。
ぎりぎりまでとにかく北京で多くの人に会った。去る前日も取材朝から4件。夜中は支援者から支援物資を受け取り、肝心な自分の荷造りを忘れ朝方まで起きていた。

北京で出会った仲間達が集めてくれた支援物資の衣類を持てる限りと自分の荷物、合わせて90kgを抱えマンションをあとにした。大き過ぎてドアを通過するのに困っていたら出口でおじいちゃんが荷物を運ぶのを手伝ってくれた。
エレベーターではおばあちゃんが手伝ってくれた。ここに移り住んで一週間目くらいに出会ったおばあちゃんで、ひとりで重たいオルガンの片側だけ浮かせてガリガリと地面を引きづりながら歩いていたので一緒に運ぶのを手伝った隣の部屋に住んでいるおばあちゃんだ。
お話をしていた時に仕事を聞かれ、男士(男看護師)と言った時、彼女の表情が急に輝いたのを覚えている。中国では男性看護士はすごく珍しいらしい。知り合いの看護学校では約1000人学生がいて男性は3人だったという。



前の晩、weiboで安全のため詳しい場所は書かなかったが再び被災地に戻ると書いたら北京空港と昆明空港、その道中の地下鉄に支援者が集まってくれて荷物を一緒に運んでくれた。
支援物資を一緒に集めてくれた友達も仕事の休みを貰って空港まで一緒にきてくれた。

空港での預け荷物はもちろんオーバーウェイト。だけどこの荷物全部雲南の被災地に持って行くと説明したら7つの荷物全てタダにしてくれた。
交渉で何でもなんとかなってしまうのが中国。


北京、ものすごく忙しかったけど、新たな出会いが盛りだくさんで楽しかった。今回飛行機での北京往復だけど局が費用を負担してくれなかったら絶対来れなかった。財布、パンツどれをひっくり返したってそんなお金ない。日本に帰るお金だってない。今年の夏、日本の友達同士の争いがあり、だいぶその時失ってしまった。でもなかったらなかったで知恵を使ったそれなりの生き方がある。



Weiboを見て昆明空港に車で迎えに来てくれた男性と大学生達。
アシスタントの救世主も電車で38時間の苦労の道のりを乗り越え朝到着していた。
雲南特産の米线を食べる毎日がまた始まった。




昆明滞在中は4件の家に泊まらせていただいた。
最初の家は僕のweiboファンに紹介していただいた友達。被災地である昭通市出身の方でとっても親切にして頂いた。


二人目は以前雑誌の取材で一緒に被災地まできて行動を共にした方。
今ではもう毎日連絡を取り合ういいお友達。


三人目はcouchsurfing. アメリカ人の彼と可愛い猫2匹と暮らす。猫の名前、黒はチャーリー、茶色はネコバス(トトロの)。
彼女は早朝の仕事の為早々に寝たが、僕とチェンレイで書類を作成している後ろで、相変わらず男達は夜遅くまで風船ヘリウムと危ない煙の臭いを漂わせていた。


四人目は北京のglobal times記者さんが紹介してくれた彼の親友。
バリバリのビジネスウーマンだったが今は昆明の静かな大学タウンでおしゃれで可愛いカフェを開いて人々が集まる賑やかな憩いの場を作っている。



どこの国だって、どんな時期だって、優しい人達はたくさんいる。
僕は良いところも悪いところも含めて、本当の中国を知っているから、
中国にいるんだ。

みんなありがとう。



被災地イリャンに戻る前に昆明でビザの更新をしなければならない。
スムーズに行くと思ったビザの更新。
春に更新したときには割と簡単にいった。しかし今回、
こんな大変なことになるとは思ってもいなかった。


河原啓一郎 keiichiro kawahara
Facebook: http://www.facebook.com/coucou.kei?ref=tn_tnmn